長女の話

 長女に頭を掻いてもらうとき、長女は日本語で思っていることを思うままに話してくれる。これは他の子供たちには無い特性だ。俺の子供たちの中で長女は唯一の女性であること、長女の日本語能力はピカイチであることがその理由として挙げられる。しかし、一般的に年頃の娘は父親とは距離を置いて近づかないものだ。現在、というか数年前から、いや、生まれてからずっと、長女との関係は良好で、目の中に入れても痛くないどころではなく「長女のためになら死ねる」と本気で思えるほどだ。そう言えるのも一人娘だからこそだ。二人以上娘がいると、贔屓してはいけないという意識が働いて対面したときに褒めることが憚られるに違いない。もうひとつの理由がある。それはALSに関することだが、言及しないほうが良さそうだ。

長女は受験終了後東京旅行に行きたいと言っている。その目的は仮面ライダーの主演俳優の十周年イベントに参加することだ。俺と妻は「一人は危ないから友達と一緒に行きなさい」と言っているが、その同伴してくれる友達が見つからないと嘆いていた。こんなときは、健康だったらボディガードとして同行して、「お母さんには内緒だぞ」と言いながら美味しいものや仮面ライダーグッズを買ってあげるのになあ。人生、損しているなあ、と後ろ向きな気持ちになる。

長女は富の原小学校に一年通って卒業した。それは俺の母校でもある。長女はそのときの担任の先生の話をよくする。帰りの会の時にギターを弾いてジュンスカやブルーハーツの曲を全員で歌った思い出を熱く語っていた。俺も授業参観に行ったことがあるが、そのときの様子を以下でシングルカットする。確か山口先生だと思う。


 長女が通う小学校の下駄箱置き場の壁面には数十枚の板が設置され、その各々には彫刻刀で凹凸をつけた自画像が浮かんでいる。その中の一つが第一期卒業生である俺によって制作された事を長女が知っているかは定かでない。

今日は今年度二回目の授業参観の日で、前回同様先生方の助けを借りて二階までの階段を上った。長女の席は教室の中央だ。長女の横顔が見える廊下の位置に車椅子を移動していると、担任の先生の号令で集中力を高めるための深呼吸が始まった。

先生が何らかの数字を黒板に書いたが、すりガラスに遮られてよく見えない。その五桁の数は何かと児童に問うと一斉に手が上がり、大村市の人口、交通事故の件数、等の忌憚なき推量が児童側からなされた。小学生の頃の授業では当たり前とも言える授業風景だが年齢を重ねるごとに口を閉ざすようになる歴史を見てきた者の目には非常に新鮮で懐かしい光景だった。とは言え、このような秩序が保たれたうえでの自由な雰囲気は担任の先生の指導力によるものに相違ない。「長女はいい先生に恵まれたなあ」と思いつつ授業を見守った。

その五桁の数字は昨年度の日本での自殺者の数であることが明かされた。そう、今日の授業は道徳で主題は「命の大切さ」なのだ。先生は脳幹から始まる脳の進化の過程を説明した後、「いじめ等の言葉の暴力によるストレスは生命活動をつかさどる脳幹を直撃する」と仰り、「言葉の暴力を行使する度に加害者側の人間らしさをつかさどる新皮質が破壊される」と仰った。そして自殺した児童の遺書と遺児に宛てた父母による手紙の数々を朗読され、「辛いときは助けを求めればいい。学校なんていかなくてもいいんだ」と言う言葉で締めくくった。

正直なところ、感動してしまった。子を持つ親の身になって切実な思いだったというのもあるが、言葉を詰まらせることもなく気丈に話される先生と真剣な眼差しで涙さえ浮かべながら聞き入る児童たちが織りなす雰囲気に圧倒されたのだ。このような影響力のある授業と隣り合わせである小学校の先生は凄いなと改めて思った次第である。

なにしろ、数を扱ったことはあっても命を扱ったことは皆無だからなあ。

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