1分小説 11)「上海バス」( 646字、AI補正無し )

まだ六月だというのに、午前中だというのに、気温はぐんぐん上がり30度を超えている。石澤満男は自宅の縁側に座り、ただ中空を見つめている。三月末に希望退職して以来、ずっとそんな調子だ。満男は熱中症寸前までこの暑さと湿気にその身を委ねるつもりでいた。

満男は30年前に思いを馳せる。「あの頃、俺は上海にいた。赴任したばかりで土地勘がなく、営業先を周るのに苦労が絶えなかった。あの時も今日のような蒸し暑い日だった」

30年前の上海は大規模な百貨店が林立する通りの裏に洗濯物を干す貧民街が立ち並ぶというような混沌に満ちていた。満男は営業先でもらった情報に従ってバスに乗った。そのバスは冷房がなく、窓は全開だが、渋滞で速度が出ず風が吹くことがない。ねっとりとした逃れようがない都市熱が押し寄せてくるバスの中にいるのは不快そのものだ。加えて、新たな乗客が乗ってきて、日本の満員電車のような高密度になり、体臭と化粧の臭いが混じり合う最悪とも言える状況になった。満男自身も脇汗と背中汗が噴き出し、不快指数の上昇に一役かっていた。

「目的地まで半分も来てない。一体、いつまで耐えればいいのか?」と我慢の限界に達した時、風鈴の音色が聞こえた。いや、それは風鈴ではなく、おそらくは十代の少女の歌声だった。中国にそのような文化があるのか定かでないが、少なくとも満男はその高音の旋律に涼風を感じ、歌声がダイアモンドダストに変わりその気化熱で車内が冷却されると感じた。

信号待ちしていたバスは再び走り出す。少女の歌も終わる。拍手は誰からも起こらなかった。

満男は一時間以上縁側に座っている。見兼ねた妻が冷凍庫に入れて冷やしたタオルを満男の首に掛け、レモネードが載ったお盆を縁側に置いた。

満男は「谢谢」と言った。

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