聖書の通読

20年以上前、聖書の通読に挑戦した。創世記と出エジプト記までは物語として面白いので、一日一章のペースで熟読することができていた。しかし、レビ記、民数記、申命記は家系や祭祀の作法に関する記述が多く、その挑戦は挫折するのであった。それ以降も礼拝の説教で1度も紹介されないような「記」が延々と続くのだ。疑問を持ちながら一章一章を熟読する形式で通読することは根気と忍耐を要する作業なのだ。

ALSに罹患してからページをめくる力がなくなり読めなくなった。その代わり読む時間は十分にあった。そんな時、妻が聖書の通読を一緒にすることを提案してきた。妻が音読して、それを聞いていればいいので負担はない。しかし、問題は「俺に主導権がない」ことと「妻は子育て、家事、介護で忙しい」ことにあった。結局、この試みも申命記の壁を越えることはできなかった。

妻のスマホには聖書のアプリがインストールされている。そのアプリは他言語対応で朗読してくれる優れものだ。これが俺のパソコンにインストールされれば、上記の問題点が解消するだろうと思ってはいたが、スマホ専用のアプリでパソコンにインストールできないという思い込みと「貴重なパソコン接続の時間を聖書の通読に費やすのは気が進まないな」という理由で放置していた。そんな折りに、数学者にしてキリスト者である鈴木先生からメールが来た。俺は何者かに導かれたかのように聖書の朗読アプリについて尋ねるメールを送った。鈴木先生からの返信にはアプリではなく、朗読機能があるURLが記してあった。

それからというもの、Youtubeで音楽を聴く時間を聖書の朗読に費やすようになった。それは熟読ではなく、BGM代わりに使用するだけだ。それでも旧約聖書の全貌が把握できたし、引っかかった箇所は生成AIに尋ねて正確な位置と解釈を知ることができる。聖書の朗読を聞き始めてから40日目にようやく新約聖書に入った。最後まで読んでも通読とは言えないと思うが、次に文字を目で追って熟読するときの目安になるだろう。何かを日々の努力を積み上げていくのは楽しいし、忘れていたものを思い出す作業であることがわかった。

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