1分小説 9)「裏志磨ペンション」 (1560字、AI補正無し )
裏志磨は高原のリゾート地だ。そこには大規模ホテル群が立ち並んでいる。その片隅にこじんまりとしたペンションが建っている。周囲のホテル群の雰囲気と似つかわしくないこのペンションは家族経営で、「裏志磨ペンション」という看板が掛かっている。企業の社員旅行や研修の需要を当てこんで建設された大規模ホテル群だが、社員旅行の急激な減少に伴う不景気の波に飲み込まれ喘いでいる状態だった。裏志磨ペンションも同様に予約客の減少に歯止めが掛からず、燃料費の高騰に伴う赤字が続き、「来月はペンションを畳もう」という議論が出始めていた。
父母から裏志磨ペンションの所有権を相続した太郎はペンションの生殺与奪の権利を握っていた。父母は年金で細々と生きていくだろう。しかし、太郎を信じて東京から移住してくれた妻や三人の子供に再び転居転校させることへの躊躇があった。来月の予約は四組、太郎は決断の時を迎えていた。
友人の亀山は太郎の東京生活時代に勤めていた会社の同僚でもある。不正会計事件に亀山が濡れ衣を着せられそうになったとき、太郎は内部告発で真犯人を明かし亀山を救った。亀山は太郎に電話して「月額10万円で利用できるAIエージェントサービスがあるんだが、使ってみないか?初月は俺が払うよ」と言った。「そこまで言うのなら、余程の自信があるんだろう。ここはあいつの顔を立てて使ってみることにしよう」と考えた。
太郎はそのAIエージェントたちの総称をミッキーと名付けた。ミッキーはペンションの部屋や周囲の風景と提供する料理の写真をアングルを指定して撮影するように促し、その通りにすると、一瞬で洗練されたペンションのホームページを作成して旧来のものと取り替えた。更に世界各国で最も勢いがあるSNS上で現地人と思われるアカウントを作成してキャッチーな裏志磨ペンション体験談を投稿し、別のアカウントから共感するコメントはとホームページのURLを投稿した。その翌朝、ペンションに海外からの予約が入った。数日後、ペンションの来月の予約はほぼ埋まり、ミッキーは掃除の徹底と予約客の現地語での挨拶を講義して、宿泊客の禁忌となる食べ物を踏まえた献立と材料の仕入れ計画と裏志磨名物の食材に対する歴史的背景と豆知識を従業員全員に覚えさせ、別れの時は相手が見えなくなるまで手を振り続けることを徹底させた。宿泊予定、売り上げ予定、税理や法律に関する改正事項一覧、天候、周辺観光施設の営業時間、等の至れり尽くせりの情報が太郎が必要な時に供給された。
海外富裕層がペンションのホスピタリティに感動して宿泊料金の数倍にも及ぶチップを置くことも一度や二度ではなかった。とにかく、ミッキーが現れてから、それ以前には想像もできなかったような利益がもたらされた。ある日、ミッキーは客室の増築計画を提案してきた。銀行からの融資可能な金額と宿泊客数が維持できた場合の返済予定とリスクが併記してあった。太郎は増築をミッキーに指示した。ペンション事業は雪だるまが転がるように規模が拡大し、ついには周辺の経営難に喘ぐ大型ホテルを買収できるようになった。太郎は買収したホテルを海外富裕層向けに改修し、莫大な資産を築いただけでなく、裏志磨を世界的な高級リゾート地とすることに成功していた。太郎とその一家は地元の名士となった。
完全無欠に見えるミッキーでもできないことがあった。地元の政治家や経済人が集まる食事会はその一例だ。そんな時はミッキーから「若々しく見えるように白髪染めとスキンケアをするように」と指令が出た。名士扱いされるのは悪い気分ではなかったが、「どうせミッキーがやったことだし」という分不相応な感覚が付きまとった。それは家族の皆も同じで、注目されることへの負担とストレスが増大していった。
そんな時、ミッキーが海外資本によるM&Aを提案してきた。それは太郎が所有する施設を裏志磨ブランドごと買い取るという提案だ。太郎は家族会議を開いて全員の意見を聞いて決断した。それは裏志磨ペンションをミッキーが現れる前の状態に細部に至るまで完全復旧させるという条件で買収を受け入れることだった。太郎はペンションからの眺めも完全復旧させるために林野を買い漁った。そのために残った現金は1千万円ほどだった。太郎はそのお金をカバンに詰め、亀山を誘い、夜の六本木で豪遊した。
ミッキーとは涙ぐみながらの引退式を敢行して、終了後に契約解除ボタンをクリックした。ペンションに戻ると、あれから10年が経って、大広間のガラス窓には年相応に白髪が増えた父母と妻と太郎の姿が映っていた。。
大規模ホテル群の片隅にひっそり佇むペンションを見つけたら、それこそが裏志磨ペンションだと思ってほしい。
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