出身はどこ?

 「出身はどこ?」と聞かれたとき、「長崎です」と答えることにしている。実家は長崎県大村市にあるので、噓を言っているわけではないが、「長崎市」の知名度にタダ乗りしているような後ろめたさは常々感じている。しかし、「大村市です」と言っても、県外の人には「?」を浮かべる事態がよくある。

一口に長崎県と言っても、市町村ごとに文化的背景はまるで異なる。長崎市では8月15日に爆竹をバンバン鳴らして精霊船を海に流すが、俺の感覚だと「中華文明の真似事をしているだけ」という冷めた見方になる。長崎市では「おくんち」という祭りを心の拠り所にしているみたいだが、俺の感覚だと「コッコデショと言われても、見たことないしな」という感じで何のシンパシーも湧かない。長崎市は被爆地ということで世界的に有名で、俺も平和教育を受けてきたからそれなりに共感できるが、直接の被爆地ではないので「長崎市の人とは感じ方が違うんだろうな」という思いが消えない。チャンポンや皿うどんには馴染んでいたが、しっぽく料理やトルコライスは名前だけ知っている程度だ。このように同じ長崎県でも大村市と長崎市は天地ほどの違いがある。

大村市の中でも違う。小学校の校区ごとに特徴があるし、言葉も微妙に違う。自衛隊の基地が複数個あって、流入流出する家庭も多いし、長崎市のベッドタウンとして定着しているので、文化的背景は均一化されている。とは言っても風景の違いはどうしようもない。

実家がある原口町にしても隣りと向かい以外は誰が住んでいるか全くわからない。そう考えると、故郷って想像していたよりはるかに狭い範囲に分布しているような気がしてきた。郡川や野岳を眺めて「故郷っていいな」と思うことはあっても、そこに住んでいるわけではないし、所有しているわけでもないし、身の安全が保障されるわけでもない。「いると安心できる場所は案外少ない」と考える今日この頃だ。

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