ノアの運ぶね

 俺が初めて購入した車はトヨタのノアだ。8人乗りで助手席が回転しながら下まで降りてくる機能が付いた福祉車両だ。中古だったので、160万円前後の価格だった。納車の時期は2019年4月末、注文してから一ヶ月後にやってきた。その当時、俺は歩けなくなっていたし、腕の力も衰えていた。にも関わらず、納車されたその日に運転席に座り、妻を助手席に乗せ、試運転に出掛けた。


日に日に進行する病、それを片時でも忘れさせてくれる運転は至福の時間だ。ノアは車高が高く前面が薄い。そのため見晴らしが良く運転しやすい。車は国道を走り、三浦半島に進路を変えた。日光が降り注ぎ、それを反射して琴の海と化す大村湾の美しさは今日も健在だ。傍らにはやや興奮気味の妻がいる。上々の滑り出しだ。


至福の時間は一週間足らずだった。俺が運転中意図せぬ山道に入ってしまい、蛇行を繰り返す下り坂に両腕の悲鳴と身の危険を感じとった俺は妻に運転の交代を申し出た。その瞬間から俺はハンドルを握ることはなくなった。俺の指定席は助手席に変わり、妻がノアの運転手になった。妻はメキメキと運転の腕前を上げ、野岳や彼杵に通じるグリーンロードが定番のドライブコースとなった。母も併せて7人で遠出したことは数知れず、そのどれもが家族の思い出として鮮明に焼きついている。


昨日、次男が大村旅行から帰ってきた。ノアについて尋ねると「なかった」という返事だ。俺は実家に住む母にメッセージを送った。その返事は「勝手に処分してスミマセン」だった。漫画を断りなしに捨てられた記憶が蘇る。「相変わらずだなあ。許可を求めて却下されて処分できなくなることを恐れて先手を打ったということか。でも今回は謝りの言葉があったなあ」という思いが駆け巡った。母の名誉のために書き足すと、釜山に再移住したのが2020年12月、それから約4年間ノアは追憶のためだけに実家の駐車場に放置されていた。その間、自動車税も発生している。

今、俺は思い出製造装置だったノアにこの上ない感謝と「迎えに行けずに、雨風に晒されっぱなしにしてごめんな」と伝えたい。


追伸)最近、よく眠れるようになった。

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