サンタがやってきた
昨日の夕方、CJR教授が見舞いに来てくれた。俺は寝室でパソコンに繋げれた状態で待機していた。妻の声が聞こえる。なんだかいつもと違う雰囲気だ。寝室に入って来たCJR教授の姿を見て驚いた。CJR教授は赤い服の上下を着ていた。どこからどう見てもサンタクロースの格好だ。CJR教授は「クリスマスにはちょっと早いけどびっくりさせようと思ってな。孫の前では毎年やってるんだ」と言って笑った。
CJR教授は16歳上の釜山大学数学科の先輩教授で、俺が2002年に赴任したときから現在まで様々な面でお世話になった恩人である。赴任したばかりの俺の講義負担を減らす意図で指導学生の暖簾分けをしてくれたし、専攻分野が近いことからセミナーや研究集会などの学術活動でも相談役として常に頼りっぱなしだった。数学科内でも若手教員からの信頼が厚く、大学内の理不尽な仕打ちから若手を守ってくれる存在で、揉め事があってもその雰囲気に即した軽妙な一言で場を収めるムードメーカーでもあった。
2007年に俺の父親が他界したとき、大村の実家に電話をかけて「葬式に来るから住所を教えてくれ」と言ってくれたのもCJR教授だ。迎えに行く者がおらず丁重にお断りしたが、優しさに染みたし大いに慰労された。この件を通して「人としてどうあるべきか」を学んだ。そんな万物を照らす太陽のようなCJR教授に悲劇が訪れる。医大生の次男が危篤の報が入り、現地に駆けつけるも帰らぬ人となった。日韓で数多くの葬儀に参列してきたが、会ったこともない人の葬儀で泣くのは初めてだった。韓国の葬儀は病院の霊安室で24時間体制で弔問できる仕組みになっている。国家試験を翌日に控える医学部の同級生がバスで3時間かかる釜山に大挙してやってきたのは感動的だった。同時にこれほどまでに愛された者を失う親の哀しみはいかほどのものかとの思いが胸を痛めた。そのとき以降、CJR教授は体調を崩し、昼飯も一緒に食べることはなく、しばらくは人を避けるような生活を送っていた。
時を経て、俺がALSを発症したとき、POSTECH時代の上司であるKJH教授を連れてCJR教授が俺の自宅を訪たことがある。俺は「さんざん期待していただいたのにこんなことになり申し訳ありません」と言いかけて号泣した。父親の葬式でも涙を見せることはなかったのに感情までも制御できなくするのがALSなのだ。釜山を発つとき、見送りに来てくれたのも、その2ヶ月後に大村に会いに来てくれたのもCJR教授だ。釜山に戻って来てからも定期的に訪問してくれた。このようにお世話になってばかりの不均衡な関係はまるで羊と誰かの関係を連想させる。あの人のようになりたいと思っても決して叶わず近づくことさえできない、軽口を叩くのも憚られる、そんな存在だ。
昨日も妻とCJR教授が談笑している間、ああでもないこうでもないと二人の会話に割り込むための言葉に頭を悩ませる俺がいた。CJR教授は居間で赤い服を脱いで帰ったそうだ。
素敵なサンタですね。
返信削除うちには紅葉という名の真っ赤なサンタが、今日も大量の落ち葉の贈り物を落としていきました。半時間かけて掃きました。また明日もくれるんだろうな。
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