エドについて 前編
三日前、長女が押し入れをひっくり返して何かを探していた。その何かは聞きそびれたのだが、長女は埋もれていた写真の束を発見して「これ、若い頃のお父さん?」と見せにやってきた。それらの写真はイスラエル滞在中に使い捨てカメラで撮ったもので、本欄でも登場した、大家さんのHedva、Noah、Zivが、そして未登場のエドが映っていた。俺はそれらの写真の存在自体を忘れていた。今回はエドについて語ろう。
1998年12月、俺はイスラエルに住んでいて、大学と下宿との往復にはバスを利用していた。イスラエルは男女共に兵役義務がある国で、彼ら彼女らもまた移動にバス利用する。そのために一台のバスにライフル銃を背負った男女の集団と乗り合わせるのは日常茶飯事だった。
ある日、俺がバスの座席でもの思いに耽っていたとき、俺の背中に筒状の物が押し付けられた。俺は「もしかして銃口ではなかろうか?」と感じ、慌てて振り返った。銃口だと思っていたものは人差し指だった。「お前はどこから来たんだ?」と聞いてくる大男に俺はビビりながら「日本からだ」と答えた。「俺はナイジェリアからだ。へっへっへ」それがエドとのファーストコンタクトだった。
俺とエドはバスの中でお互いの素性を話した。エドは隣町に住んでいて、果樹園で働いている。海外生活に慣れてくると、人の見分け方が分かってくる。見ず知らずの突然話しかけてきた男に心を開くとかありえないのだが、そのときは何故か疑うよりも自分のことを話す喜びが勝った。おそらく、イスラエルに住む外国人という共通点とエドの会話術の巧みさと将来への不安と話相手がいない孤独が重なったからだろう。俺はエドと次に会う約束を交わしバスを降りた。
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