金曜午後の胸騒ぎ

  今日は金曜日、金曜日の午後になると心が騒ぐ。いや、騒いでいた時期があった。それは2007年10月から2017年12月までだ。

釜山大学のメインキャンパスは山のふもとに正門があり、山の中腹に校舎や体育館が建っている。その最上部には観客席付きの陸上競技場があり、トラックの内側は緑の人工芝が敷かれたサッカー場がある。前述の期間は俺が教授蹴球会でボールを蹴っていた期間だ。俺は研究室でユニフォームに着替えて、サッカー場までの山道を上っていた。


教授蹴球会の最年少は俺で、俺より若い教員が入会することもあったが、定着はしなかった。毎週金曜日の午後の2時間、教員チームと大学院生チームとの試合形式で競うのが常だった。


以下は懐古録からのシングルカットで、初期の様子を描いている。ちなみに、末期はALSが進行中で、ボールを奪って逆襲という時に前のめりに転んでしまい、「以前はボールが破裂しそうだったのに、今日はお前が破裂しそうだ」とチームメイトからからかわれた。俺は苦笑いしていたが、「前日まで自主トレして万全の準備で臨んだのに、この体たらくは何なのだ?」と不安を感じていた。


追伸)HDH君が妻子を連れて見舞いに来てくれた。ありがたいことである。



釜山大学教授蹴球会が結成されたのは2007年の秋だった。その噂を数学科の先輩教授から伝え聞いた俺はその練習場である陸上競技場に赴いた。陸上トラックの内部は緑の人工芝が敷き詰められている。


小学生のころからずっと、サッカーをやるときは土かコンクリートか原っぱでやるのが相場で、緑の芝のフルコートでサッカーをするというのは夢のまた夢の世界だった。というわけで、目の前に広がる緑を見て感動で打ち震えていたのである。


この教授蹴球会というのは発足したばかりで体系的な練習は皆無で、体を慣らすために適当にシュート練習をやって、実戦形式のゲームを始めるのが常であった。驚くべきは、そのチーム分けが教授チームと経営学科サッカーサークルに属する大学院生チームとで試合をすることである。


教授チームは年齢も容姿も様々で、過去に実業団に所属していた教授がいたり、白髪の方が多い定年間際の教授がいたり、訪問教授として釜山大に滞在しているドイツ人、エジプト人、そして教授チーム最年少の日本人がいた。


一方の大学院生チームは足元の技術がしっかりしているのは5名くらいで、残りは素人に毛が生えた程度だった。それでも、走力で圧倒的な優位性を誇る大学院生チームは、教授達がパスを繋いで前掛かりになるのを見計らって怒涛のカウンターと正確無比な決定力で得点を重ねていくのだった。

教授側は失点してばかりで面白くないのか、経営学科所属の教授陣の権力と忖度力を行使して、オフサイドの判定を教授側に都合の良いように下したり、怪我させないように軽めの守備を学生に徹底させたりする、等の対策を講じていて、その結果、大敗はするものの気持ちよく攻撃ができるような関係を維持しながら、試合は推移していくのである。


その日の俺はスニーカーで試合に参加し、大差がついて学生たちが守備を甘くし始めた終盤で、相手ペナルティエリアからのバックパスでアシストを記録したのみだった。心の中では、

「みんなサッカーを楽しんでいる和気藹々とした雰囲気は素晴らしいなあ」と思う一方で、

嘲笑うようにゴールを重ね、如何にも接待していますという態度が見え見えの学生チームに対して、「いつか目に物を見せてやる」という恩讐の念が宿っていた。


俺はその日から数日間筋肉痛に苦しむこととなる。しかし、翌週の練習日には筋肉の超回復が起こり、その前の週よりも長い距離を速い速度で走れるようなった。そして、再度、極度の筋肉痛に悩まされ、超回復が起こり、スピードとスタミナに大きな改善がもたらされた。それが繰り返され一カ月も経つと、当時35歳の俺であったが生涯でも最高とも言えるフィジカルを得るに至った。

その時の俺は高速道路を時速200キロで縫うように走るポルシェとも言える存在だった。学生チームのエース格との一対一でも一方的にやられることはなかったし、攻撃だけやって決して守備に戻ってこない教授チームの中で前線から守備最終ラインまでの距離を走り、実質的な守備力を上げ得る唯一の存在だった。それまでフリーでボールを受けGKの位置を見ながら容易くゴールを奪っていた学生チームだったが、俺の守備力向上と俺に次ぐ若手のY教授のCB固定によって大量失点する試合は激減していたのだ。


攻撃陣はドイツ人であるガーノットの右ウイング定着とエジプト人であるオサマのCF起用で学生からの忖度を受けずとも好機を作ることが出来るようになっていた。日本人である俺は中盤の底で相手チームの逆襲の芽を摘み、奪ったボールを前線に供給する役割だった。


俺の初ゴールは正にそんな展開から生まれる。俺は奪ったボールをこねずにがら空きの右サイドに配給、そこにはガーノットがトップスピードで走りこんでいた。中に絞るDFの逆を突いて右サイドの最深部から前を向いたまま中へのセンタリングを供給する。そこに走りこんだのは勿論俺だった。ボールが地に着く前に足の甲に乗ったボールは掬い上げられ、ドライブ回転が掛かり、ゴールに突き刺さった。すかさず、オサマが駆け寄り、ガーノットが続き、喜びを分かち合った。


走りに走って守備で貢献しゴールを決めた時の気分は格別だった。


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