人生の分岐点

 大分県の大規模集落火災、香港の高層マンション火災、山口県のガス漏れ事故、関東地方の山火事、などのニュースが報道されている。これらのニュースを見ると、俺が9歳の時に起こした放火事件を思い出す。このことを本欄で書くのは二回目だ。今回は前回よりも詳しく語ろう。

俺の実家は二階建てで、二階は父母と弟と俺の寝室二部屋がある。その内の一部屋は和室で、テレビと化粧用の三面鏡が置いてあリ、夕食後の家族団らんの場になっていた。冬には石油ストーブが置いてあった。そのストーブを着火するためにはマッチが必要で、9歳の俺でも着火できるようになっていた。母はマッチの燃えカスを金属製のストーブ台の窪みに置くように指導していた。

ある夜、夕食後にテレビを見ようと二階に駆け上がった俺はストーブをつけた後のマッチの燃えカスを「完全に火が消えている」「ゴミはゴミ箱に」という潜在意識が働いたのか、はたまた以前からそうしていたからなのか、円筒形のプラスチック製のゴミ箱に放り入れた。それから数秒後なのか数十秒後なのか定かではないが、ゴミ箱の中のティッシュが燃えている様子が視界に入った。俺は9歳児特有のすばしっこさで立ち上がり、隣の部屋に新設されたばかりの洗面台でコップに水を入れ、消火に戻った。ゴミ箱からは火柱が上がっていたが、ひるんでいる時間はなく、それまでの行動の延長と勢いはコップの水を火柱に掛けるという選択を促した。その直後、「じゅううっ」という音と共に火柱は消え、俺は再び洗面台に水を汲みに行く消火活動を繰り返した。鎮火後、ゴミ箱は溶けて無くなってしまい、畳の上に円形の焦げ跡を残していた。父母から詰問された俺はプチ逃亡を企てるもあえなく車庫で取り押さえられた。

あの時は人生の分岐点だった。発見が数秒遅れていたら、燃えやすい物だらけだったあの部屋は全焼して石油ストーブの灯油に引火して、9年前に建てたばかりの木造一戸建ては全焼していたかもしれない。平坂家の経済的損失は言うまでもなく、そのことは9歳児の俺に大きな心の傷を残し、その後の人格形成に負の影響を与えたに相違ない。俺が気付いてないだけで、他にも無数の分岐点があるのかもしれない。火事のニュースを見ながらそんなことを考えた。

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