のぶの悲哀
ドラマ「あんぱん」で主人公ののぶ役を演じる今田美桜は美貌は申し分ないのだが、感情移入できないし、あまり魅力を感じない。それは今田の女優としての資質によるものではない。のぶが十代の頃は徒競走で男を負かしたり、電話でたかしをどやしつけたり、次郎からの求婚を走って追いかけて承諾したり、躍動するヒロインとしての存在感は十分にあった。しかし、たかしと結婚してからののぶはそれまでは充満していた自己肯定感が崩壊して、8月22日放送分では「仕事は全部中途半端で、首になって、たかしさんの子も産めない」という内容を吐露した。これは脚本家の意図で「頑張ってキャリアを重ねてきたが気がつくと何も残っていなかった数多くの女性の悲哀」をのぶに代弁させたかったのかもしれないし、史実に基づいた話なのかもしれない。いずれにせよ、脚本のせいで今田の女優としての魅力が損なわれ、削がれているような気がする。
そこで僭越ながら今田の魅力を引き出す設定と脚本を考えてみた。たかしは不思議と自虐や内省がよく似合う。漫画家としての代表作を産み出せないで苦悩するたかしを持ち前の明るさで笑い飛ばすのぶという設定にする。手塚治虫をモデルにした手島治虫と遭遇したたかしはのぶに自分の才能の無さを打ち明ける。
「あの人はすごいよ。自分に無い物を全て持っている。医学部に入るほどの明晰な頭脳、未来社会を予見させる類い稀な想像力、漫画をメジャーにするという野望と大志、日本全国津々浦々にいる読者、僕もその一人だ」
「でも、手島治虫はウチは持っちゃあせん。ウチは仕事も子供も持っちゃあせんけど、たかしがおるから幸せや」
「…………。参ったよ、のぶちゃん」
みたいなことを言わせれば人気爆発間違いなしと思うけどなあ。あまりにも男性視点に偏った見方だろうか?
前半部分は命がかかった場面が多く、週ごとに登場人物が減っていく印象だった。それだけに緊迫した場面と和やかな場面とのメリハリが物語の推進力をもたらし見る者を惹きつけていた。ところが、後半部分に入ると平和な時代になったせいか中だるみなのか、「あれっ」と思う設定が散見される。以下でそれらを記しておく。
1)のぶは代議士に引き抜かれる形で高知新報を辞めて上京する。それなのに当てがわれた住居はいつ不審者が侵入して来るとも限らないガード下のあの住居だ。戦後の混乱期とは言え、あまりにも酷い仕打ちだ。
2)たかしは高知の伯父に育ててもらった立場だ。弟のちひろが戦死して、たかしは伯母の生活を支える義務がある。それなのに、たかしはのぶの後を追って上京して、「とりあえずは漫画を描こうかな」と悠長なことを言っている。そもそも、たかしは育ててくれた伯母を蔑ろにしすぎる。結婚後、皆が東京の新居に訪ねて来て祝うという設定だったが、俺はたかしとのぶが故郷に帰って墓参りする姿が見たかった。
3)その新居の共同便所の天井がないという設定に無理がある。少しの出費で修理できるのに放置している理由があるのだろうか?
4)如何に多忙とは言え、親友の辛島の結婚式に出席しない、妹の結婚式に出席しない、なんてありえない。
5)のぶの母が上京して「たかしさんに会うのも久しぶりやねえ」と言っていたが、盆と正月くらいは高知に帰ってやれよと思った。
私と丸谷さんと9月中旬連休で会いに行っていいですか?会いたい!
返信削除9/14、空いてる?
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