全自動卓概論

 麻雀というゲームは面白い。その理由の一つが局面ごとに選択を迫られる自助と山に積まれている牌は予測できないという天運との配分が絶妙であることだ。しかしながら、その天運の部分が4人の手作業によって生成される。もしどの牌がどの位置にあるのかを記憶しているプレイヤーがいれば、麻雀の天運は人為に変質してしまい、ゲームの面白さが大きく損なわれてしまう。かと言って、その行為を防止する方法は限られている。牌を全て裏返して4人で念入りに混ぜ合わせるという方法もあるが、時間もかかる上に混ぜるときに表向きになることもあるし、それほど苦労しても牌と盤面との摩擦で牌を特定する強者もいるのだ。お金を賭けない楽むためだけの麻雀であっても4人全員の善意で支えられているのが麻雀の本質だった。

前段落は過去形で結ばれているのには訳がある。欠陥ゲームだった麻雀に天運と公平性に加えて時間短縮の要素までもたらしたのが全自動卓の発明だ。現代史が第二次世界大戦以前と以後で分けられるように、サッカーの歴史がサッキ率いるACミラン以前と以後で語られるように、麻雀の歴史もまた全自動卓の普及以前と以後で分離される。それほどエポックメイキングな出来事だったと個人的に思っている。ちなみに、生成AIによると、全自動卓が開発されたのは1960年代らしい。

俺が全自動卓を初めて目にしたのは大学1年生のときで、地下鉄が箱崎駅から地上の貝塚駅に上っていくようにせり上がる麻雀牌を見て大いに感動した覚えがある。箱崎の雀荘は全自動卓完備で場代も一時間一台400円という信じられない安さだったので、数学科の同級生たちと連日のように通っていた。

今となっては牌を触ることもできなくなったが、今回大村に滞在する3人の息子と母に俺の全自動卓への思いを託すことにした。今日中には配送も完了し組み立ても終わっていることだろう。

コメント

  1. 母は大きい荷物が次々と運ばれてパニックだったらしい。向かいに住むuさん夫婦が何とか組み立ててくれたみたい。
    でも洗牌された牌が整列して下からせり上がった時には歓声が上がったそうな

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