教育実習生だった!!

今から32年前、俺が大学4年生の時、母校である大村高校に教育実習生としてお世話になった。九州大学には教育学部がない。しかし、教職に必要ないくつかの単位を取得して教育実習に行けば教員免許が取得できる。実は、大学院に進学して研究者になりたいと決心していたのにも関わらず二股をかけていた。結果的にせっかく取得した教員免許は一度も使うことなくなりそうだ。指導していただいた谷川先生、受け入れていただいた大村高校の皆様、朝電話で起こしてくれた数学科の同級生に多少の後ろめたさを感じつつも教育実習での思い出を振り返ってみる。

俺が高校生だった頃、数学の授業は龍尾先生が担当していた。その頃から谷川先生はいらしたが、一度も授業を受けたことがなく人柄も性格も未知だった。教育実習期間前の打ち合わせで、谷川先生が担任の一年生のクラスで授業してもらうと告げられた。そのときに渡されたのが約40名分の名前入りの顔写真で「完璧に覚えてくるように」と指導された。昔から暗記が苦手な俺だったが、谷川先生の「教育実習生たる者、全力で生徒に接するべし。名前を覚えてくれてると生徒が認識すれば悪い気はしないはず」という無言の圧を感じ、実行することにした。

教育実習の期間は二週間、大村高校では高総体を挟んだ期間に実施されるのが慣例だった。おそらく、部活に集中して勉強が疎かになりがちな時期にぶつけることで教育実習生による未熟な授業で生じる教育被害を最小限にしようという意図が作用しているからだろう。

初日、約10名の教育実習生と対面した。彼らの大半は高校の同級生で懐かしくもあり、「高校時代は〜〜だったあいつがずいぶんと立派になって」という驚きがあった。その日は授業を参観するだけだったが、自己紹介や授業計画の作成、先生方への挨拶回りで大忙しだった。放課後には柔道部の見学に行った。なんと部員が増えていて女子部員もいた。

二日目以降も気の休まる暇はなく常に緊張を強いられた。三日目、初の授業に臨んだ。俺は双方向の授業を標榜していたので、生徒の顔を見て名前を呼んで質問することで授業を組み立てていった。途中、ある生徒が「1/p+1/q」の式変形で詰まって沈黙が生じた。俺は「1/2+1/3はどうやって計算した?」と助け舟を出したら、クラス全体から「おおー!!」という歓声が上がった。「こんな些細なことにあれだけ大きな反応、正に快感。もしかしたら、こういう喜びが教師という職業の魅力、というか、魔力なのか?」と思った。

柔道部には見学だけでなく、よせばいいのに練習まで参加して、高総体では声を枯らして応援した。

職員室の雰囲気も少しはわかるようになった。高校時代は面白い授業をする愉快な人だと思っていた先生が職員室では煙たい存在として扱われていたり、説明が下手すぎて自習時間と化していた授業をする先生が職員室でも変人扱いされているのを見て、なんとも言えないやりきれなさを感じた。

実習生同士でいろんな話をした。教員を交えての飲み会も二回あった。次の日も登校だという時でもやっぱり教育に関して熱く語り、しこたま飲んだ。今考えると、教師の実像に限りなく近い疑似体験だったのかもしれない。


コメント

  1. 俺と妻が在学中に来たんかな。
    なんとなくしか覚えてないなあ

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