引越しのバイト

 大学生の頃、単発で引越しのアルバイトをやっていた。ハローワークに行って日程や条件が合う仕事に応募すれば集合場所が告げられる。その場所に行くと点呼されトラックの荷台に乗るように指示された。ほぼ全員がスマホを所有する現代では、荷台に乗って移動するとSNSで告発されて炎上するのだが、35年前はある程度の無茶が許される時代だった。


引越し先に着くと、住居からトラックまでの荷物の搬出が始まった。冷蔵庫などの大物は正社員が運びバイトはその補助かダンボール箱の移動を担った。その重さはせいぜい10キロで、それ以上の重さのものは二人がかりか滑車で運んだ。そういうわけで、重い物を持ち上げて唸りながら運ぶような筋肉に負荷をかける仕事ではなく、どちらかというと持久力と初動を得るための要領が求められる仕事だった。ただ仕事は延々と続いた。住宅の二階へ伸びる階段を上るのがつらいと思うようになったとき、ようやく終わりが見えた。気温は30度を超えていて、汗まみれになった。弁当が支給されたはずだがどうやって食べたか全く覚えていない。覚えているのは新居までの移動でトラックの荷台の中が「サウナ料金を払ってやろうか」と思うほど暑かったことだ。それからフィルムを巻き戻すような作業をやって拘束時間8時間のバイトが終わった。


疲労困憊だったが、バイト代を現金でもらい充実感があった。その額は一万円、10日間飢えずに暮らせる額だ。引越しのバイトはきつかったと言っても、柔道部の二部練と思えば大したことはなかった。高校時代は同じ苦労をしても一円も入って来なかったのにこの差は何なのだと感動していた。同時に、仕送りが打ち切られたとしても福岡で一人で生きていける自信が湧いてきた。


長男と次男は彼らの実家で大学生活を送っている。今日は中間テスト期間の最終日で妻が病院に行く用事があるということで二人とも家にいた。俺としてはありがたいという気持ちがある一方で、彼らの成長の足枷となってはいけないと思っている。そういうわけで、今週末は俺のことは気にせずに引越しのバイトに行ってこいと命じるつもりだ。


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