遠ざかっていく数学
ある時期までは生活の中心だった数学が今では思考の片隅にも現れなくなった。その言い訳を列挙してみる。
1)目が悪くなった。一年前はくっきり見えていたパソコン画面上の文字が滲んで見える。数学の論文はPDFファイル化されていて、文字の拡大縮小は可能だが、視線入力でそれをやると時間がかかる上に内容が頭に入ってこない上に物凄く目が疲れる。
2)俺は数学の概念を理解しようとするとき紙とペンを使って絵や図を描いていた。俺はデジタル人間ではなく、生粋のアナログ人間だった。紙とペンが使えない今、その代替手段も見つからず、「わからない」だけが蓄積していく状態に耐えられなかった。
3)数学の研究をするためには継続性が求められる。興味が湧いたときだけ思考にふけるのであれば、その興味が毎日湧くように生活を数学に傾けなければならない。俺はその選択はできなかった。でないとこんなに頻繁に文章を書くことはできない。
4)数学は片手間ではできない。これは俺に限ったことかもしれないが、脳味噌が100%の状態であってこそ数学の研究ができる。毎日のように寝不足で頭が朦朧としている状態では数学の研究など夢のまた夢だ。
そんなわけで数学から遠ざかって久しい。視線入力が板についてから連絡しようと思っていた数学の仲間たちにも連絡できないでいる。きっと、数学をやってない自分を恥ずかしいと思う気持ちと数学に没頭している相手が眩しすぎると思う気持ちが合わさっての不為なんだと思う。
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