尊敬する人
今から6年前、俺は大村に住んでいて療法生活を送っていた。泉清隆さんと初めて会ったのは冬で、今日のように底冷えする日だった。彼もALS患者で、俺が尊敬する人物の一人だ。
https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=699074132467598433
以下は闘病記からのシングルカットで、泉さんとの遭遇の様子が記されている。その後、泉さんはご家族とヘルパーさんを連れて大村の実家に来てくれた。当時は「呼吸器付けても車で移動できるんだ」と思っていたが、いざ自分がその身になってみると、その大変さが身に沁みてわかった。あの時の訪問は「これから俺の身に起こるであろうことを見越して、最大限のエールを送ってくれた」ものと解釈している、いや、そう思えるほど、ステージが進み、達観できるようになったということだ。その感謝を思い出し伝えるために切抜きしてみた。
今までにALS協会長崎県支部会主催の会合には一度も参加した事がなかった。開催地が平戸や壱岐で遠すぎたこと、ALS協会会員でもないので案内が来なかったこと、等の理由があるが、本当のことを言うと、ALSの患者が集まり、自分の過去、現在、未来を現実のものとして認識する作業は気が滅入るような気がしたからである。
今回の会場は長崎市の病院で車で40分の距離にある。リハビリでお世話になっている作業療法士のSさんの熱心な働きかけで妻が乗り気になり、俺も年貢を納めることになったというわけだ。日時は今日の13時半から、会場である病院のロータリーで出迎えてくれたのはエアマウスの購入でお世話になったHさん、受付では難病支援ネットワーク代表のTさんがいて、Sさんに同行した言語療法士のKさんとNさんも到着し、馴染みの面々との挨拶を交わしたことで心もほぐれていった。
患者たちは最前列に呼び集められ、必然的にお互いを観察し合うことになる。人工呼吸器を装着した人を肉眼で見るのは初めてだった。かなり管が大きく、空気を送る機械も想像していたよりも大きかった。
来る前に予期していたように、ALSという難病にかかっているという現実を受け入れる時間を過ごすことになる。その場で最も症状が進んでいると思われる白髪の女性がしたためた挨拶文の代読から始まり、医師の「ここ数年でALSの研究には目覚ましい進歩があり、数年先には治療法が見つかる可能性もある」という講話を拝聴し、青のドレスをまとった五人の女性によるコーラスが披露された。
その後、患者とその家族による交流会が開かれた。座長が指名した順に発言していくのだが、ヘルパーによる吸引機の使用が話題になり、突然、「あかさたなは、はひふへ」のような五十音の文字の位置を示す声が連続的に聞こえ、「ヘルパーでも吸引機は合法的に使用できます」という文章が読み上げられた。俺はあまりの速さに度肝を抜かれた。それはALSを患って十年目のIさんが瞬きのみで作成した文章だった。
俺の番になり、「布団が重くて寝返りが出来ず夜に何度も目覚めて眠れない」と言うと、「あるある」という空気が流れ、方々から対策のコメントを頂いた。俺の隣のK本さんの奥様は「呼吸器を付けてからはよく眠れるようになった」と仰り、K本さんは美しい字を電子文字盤に書いて意思伝達していた。
独り暮らしのAさんは今年確定診断が下りたばかりで声も普通で一年前の自分と重なった。その場にいない患者の家族は涙ながらに介護の現状や遠方で介護できないもどかしさを訴えていた。前述のIさんの番では、「文字盤の訓練を積めば夫婦喧嘩もできます」とオチを入れて締めくくった。
話したいこと聞きたいことが山ほどあるのに交流の一時間はあまりにも短すぎた。閉会後、初めて会ったばかりの赤の他人なのに共感や慈しみや名残惜しい気持ちが生じたのは自分でも意外だった。
散会途中、言語療法士のKさんが俺の側に来て
「12月から夫の職場に近い長崎市に転勤することにしました。来週から訪問リハビリに切り替えられるので、会えるのは今日は最後だと思って来ました」と仰った。その時は言葉に詰まり言えなかったのでこの場を借りてお伝えしたい。
「Kさん、三月から今まで発声を指導していただき本当にありがとうございました。新しい環境で幸せな家庭を築かれて下さい」
俺の番になり、「布団が重くて寝返りが出来ず夜に何度も目覚めて眠れない」と言うと、「あるある」という空気が流れ、方々から対策のコメントを頂いた。俺の隣のK本さんの奥様は「呼吸器を付けてからはよく眠れるようになった」と仰り、K本さんは美しい字を電子文字盤に書いて意思伝達していた。
独り暮らしのAさんは今年確定診断が下りたばかりで声も普通で一年前の自分と重なった。その場にいない患者の家族は涙ながらに介護の現状や遠方で介護できないもどかしさを訴えていた。前述のIさんの番では、「文字盤の訓練を積めば夫婦喧嘩もできます」とオチを入れて締めくくった。
話したいこと聞きたいことが山ほどあるのに交流の一時間はあまりにも短すぎた。閉会後、初めて会ったばかりの赤の他人なのに共感や慈しみや名残惜しい気持ちが生じたのは自分でも意外だった。
散会途中、言語療法士のKさんが俺の側に来て
「12月から夫の職場に近い長崎市に転勤することにしました。来週から訪問リハビリに切り替えられるので、会えるのは今日は最後だと思って来ました」と仰った。その時は言葉に詰まり言えなかったのでこの場を借りてお伝えしたい。
「Kさん、三月から今まで発声を指導していただき本当にありがとうございました。新しい環境で幸せな家庭を築かれて下さい」
参加者のほとんどが帰路につき、残ったのは俺とIさんの家族だけだった。文字盤翻訳をしていたのはIさんの奥様で妻とお互いの連絡先を交換していた。俺はIさんにただ者でない雰囲気を感じていた。そこで思い切って
「僕は家族を養うためにどうやって収入を得るかということをいつも考えているのですが、Iさんはどうお考えですか?」と失礼にもなり得る質問をしてみた。Iさんは
「私はヘルパーの派遣会社を経営しています」と答えた。
なるほど、「ゴールは俺に任せろ」と言い放つロマーリオのような絶対的な自信感をIさんから感じる理由は、自らが経営する会社が雇用するヘルパーに自らの介護を委ね、家族に負担を掛けないだけでなく、十分な収入をもたらしているという自負によるものだと合点がいった。なんと、Iさんご夫婦には一歳のお子さんもいるのだ。
世の中には凄い人がいるもんだ。それに比べて俺は・・・。
いや、よそう。「卑屈になる人が一番駄目だ」と以前誰かが言っていたではないか。
「僕は家族を養うためにどうやって収入を得るかということをいつも考えているのですが、Iさんはどうお考えですか?」と失礼にもなり得る質問をしてみた。Iさんは
「私はヘルパーの派遣会社を経営しています」と答えた。
なるほど、「ゴールは俺に任せろ」と言い放つロマーリオのような絶対的な自信感をIさんから感じる理由は、自らが経営する会社が雇用するヘルパーに自らの介護を委ね、家族に負担を掛けないだけでなく、十分な収入をもたらしているという自負によるものだと合点がいった。なんと、Iさんご夫婦には一歳のお子さんもいるのだ。
世の中には凄い人がいるもんだ。それに比べて俺は・・・。
いや、よそう。「卑屈になる人が一番駄目だ」と以前誰かが言っていたではないか。
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