モデル歩き
妻が「12時からお客さんが来る」と言って家の掃除を始めた。てっきり、訪問看護の方と思い、「今回は胃瘻の交換だからパソコンを繋がない方がいい」という理由でテレビを見ていたが、12時に現れたのは看護師ではなくPJR博士だった。「夕方に来ると聞いていたのに変更になったみたいだな。それで忙しそうにしてたのか」と思っていたら、頼みの綱である妻は買い物に行ってしまった。長女も家にいたのだが、あいさつが終わると自分の部屋に戻って勉強を始めた様子だ。PJR博士はGISTに講義専門講師としての採用が決まったばかりで、そのことを直接伝えるために大邸からわざわざ来てくれた。俺はまばたきを繰り返して相槌を打つだけだった。一年前はそれが当たり前だったが、視線入力を手にした今の俺にはその状況が非常にもどかしく感じられた。その15分後にKGY博士とCHIさんがやって来た。「テレビもつけっぱなしだし、エアコンもついてないし、歯ぎしりしても誰も反応してくれない。嗚呼、こんな時に妻がいたら」と思っていると妻が帰って来た。早速、パソコンを繋いでもらい、「これでまがいなりにも会話ができる」と思っていた矢先、看護師さんがやって来た。
胃瘻とカニューレの交換の後、昼食会が始まった。俺は寝室でネットサーフィン、妻と長女は三人の客人と共に牛肉鍋と弾んだ会話を楽しんでいる様子だ。盛り上がっている雰囲気を邪魔したくないと思い、放置しているのだが、そうすると客人たちが「そろそろ帰る時間だ」と言い出して本当に帰ってしまうというのが我が家で何回も繰り返されてきた黄金パターンだ。今回もその例に漏れず、俺との会話もそぞろに三人とも帰ってしまった。
KGY博士とCHIさんについては以下で触れているので今回はPJR博士についてのみ言及する。
https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/07/blog-post_10.html
済州島から釜山に引っ越してきた彼女はヒップホップ系の出で立ちで外股で闊歩することでボーイッシュな雰囲気を醸し出していた。彼女が俺を指導教官として選んだその日から彼女にとってのセミナー地獄が始まった。俺には学生に研究職を紹介できるような力はない。研究者を目指そうとする学生にはそれ相応の覚悟が求められる。俺が出来るのは学位を出すことだけで、残りは自らの運と才能と努力に委ねられる。今回彼女が掴んだポジションは講義の負担はあるものの首切りの恐怖に怯えることのない正規職だ。本人の頑張り次第でステップアップが可能だろう。いや、上昇志向の強い彼女のことだから、それは時間の問題だろう。
彼女には「まっすぐ歩けるようになったな。色々な意味で」という言葉で祝福した。それを聞いた彼女は「修士の頃、廊下で指導教官に呼び止められ、タイルの縦の線を両足で歩く、いわゆる、モデル歩きを指導された」という逸話を披露した。まさか、外股をからかうために咄嗟に思いついた軽口が十数年後に実を結んで不安定な契約職から脱出できるとは思ってもなかったよ。現代であればセクハラとパワハラで訴えられてもおかしくない逸話だが、そのような軽口を言い合える師弟関係だったと強く信じたい。
うちの長男がママチャリに乗って着替え2日分だけ持って友達と2人で九州一周旅行を敢行している。いま延岡から宮崎市に向かっているらしい。当初危ないから本当にやめてくれと説得していたが何のストッパーにもならず出発した。
返信削除今は家族や会社の人までその動向を見守っている。楽しそうでうらやましい