グラスハートを批評してみた
Netflix配信ドラマ「グラスハート」を批評してみた。四人組ロックバンドに関する話で、困難に直面してもライブをやれば全て解決というミュージカル形式なので、「脚本が粗い」とか「キャラ描写が不十分」とか「説得力に欠ける」という批判は意味がないのは百も承知だが、敢えて書き出してみる。
1)西条朱音は大学生で実家のカレー屋の配達や接客を手伝っている。ドラム奏者を目指しているが、それだけに振り切った生活をしているわけではなさそうだ。それなのに三年という期限を設けてオーディションに落ちたら夢を諦めると言う。ずいぶんと薄い下積みだなと呆れた。しかも、その日にロック界のアマデウスと称賛される藤谷直季の自宅に呼び出され、ドラマーとしてバンドに迎入れられる。西条朱音の「そうだったらいいのになあ」の世界がそこから始まる。終盤では片思いだった藤谷と結ばれるという絵に描いたようなシンデレラストーリーが展開される。産みの苦しみが伴わない脚本のせいで感情移入して応援する気持ちになれなかった。
2)西条が船の一室に閉じ込められる。外鍵をかけて船を出航させたのはバンドのマネージャーの甲斐だ。いくら西条を排除するためとは言え、テレビの生放送に穴を開けてバンドの信用を損なう行為とそれまでの甲斐の言動とが矛盾する。そのあと、ドラムセットを載せた別の船が接近して船上ライブの生放送が始まり、一件落着となる。「西条はスマホを携帯していなかったのか?」「藤谷たちはどうやって西条の居場所がわかったのか?」「聞き込み調査をすれば甲斐が犯人だと察しがつくのでは?」「西条が船から船へ飛び移るシーンを見たかった」などのモヤモヤが残ったが、ライブの勢いと斬新さを目の当たりにして、「そういう細かいことを考えたらこのドラマを楽しめない」と思うようになった。
3)藤谷の異母兄弟である真崎は暴漢にナイフで刺される。心配して駆け寄った女性ファンに真崎は「ライブに来いよ」と言って、その女性は血だらけの真崎を放置してライブに行ってしまう。「それはファンの行動原理と一致しないだろう。せめて救急車くらいは呼んでやれよ」と思ったが、病院の屋上中継ライブに圧倒され、そんな細かいことは忘れることにした。
4)敏腕プロデューサーである井鷺はお抱えの歌姫であるユキノを奴隷扱いしているが、コンプライアンス全盛のSNS時代の最先端を走る男の行動とは思えない設定だ。他所のバンドが契約していたアリーナ会場を解約させるには違約金を含めた相当な資金が必要になると思う。ユキノに「藤谷から提供された楽曲を井鷺名義にしていた」ことをSNSで暴露され炎上していたが、実はこのドラマの楽曲は全てが外注で、「もしや井鷺は藤谷を演じる佐藤健のメタファーなのか?」と思うようになった。
5)ライブシーンは本物と見間違うほど臨場感があった。町田啓太が演じる高岡はフレディマーキュリーを支えるブライアンメイのような雰囲気を醸し出していた。朝イチのプレミアムトークでも触れていたが、志尊淳が演じる坂本が最後のライブだけギターを持っていて大いに笑った。藤谷役の佐藤健のピアノを弾く演技がすごかった。佐藤健のピアノの腕前がどれほどのものか知りたくなった。真崎役の菅田将輝の声がよかった。西条役の宮崎優は能年玲奈に通じる透明感があると思う。ドラムの天才性かバンドメンバーを結ぶ人間力が描かれていたら物語の説得力が増したのになと思う。
かっこよければすべて良しらしいよ
返信削除細かいことも気になりつつ、それにもましてかっこよろしとLIVEの圧倒的さが上回った作品でした
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