子供の日リターンズ

昨日は韓国でも子供の日だった。子供の日の思い出と言えば、ちまきと鯉のぼりだ。ちまきは餅米を竹の皮で包んで蒸して作る食べ物だ。俺の実家ではある時期まで毎年子供の日に合わせて手作りのちまきが食卓に上がった。餅米が液状化して薄茶色に変色したちまきは程よい加減の塩味がついていて美味だった。鯉のぼりについては、実家の敷居に矢倉を組み、そこに竹竿を固定してのフル規格の鯉のぼり一式が青空に泳いでいた。しかし、それは最初だけで、年が経つごとに規模が縮小していき、末期にはベランダに一匹括り付けるだけになり、その翌年からは鯉のぼりは押入れから出てくることはなかった。

こういう風習は子供の心理に無視できない影響を与えるものと思われる。ちまきを食べながら新聞紙で作ったカブトを被り勢いよくはためく鯉のぼりを見上げれば、虚弱体質だった俺でも戦国武将になったかのような雄々しい気分に浸れるものだ。

確か弟が産まれる前の子供の日前後の出来事だと思うが、両親と俺の三人が車で福岡に行くイベントがあった。その当時は高速道路が開通しておらず、福岡まで片道3時間もかかった。その日は連休中の渋滞でさらに時間がかかってしまう。福岡動物園に行く予定だったが、到着した時は閉園時間間際で、入園を諦めることになった。今にも泣きそうだった俺をなだめるだったのだろう、父は「平和台球場に西鉄ライオンズの試合を見に行こう」と言い出した。「それは動物園よりはるかにいいぞ」とすっかり機嫌を取り戻した俺は期待に胸を膨らませていた。しかし、駐車場が見つからない。結局、満員でチケットが取れなかったのか定かではないが、車から降りることなく福岡を離れ大村に帰ることになった。この時の絶望感は今も覚えているほど大きかった。「最初から球場に行っていればなんとかなったんじゃないか?せっかくの休みに何も楽しいことがなかった。せめて美味しいものを食べたかった」などと恨みを募らせながら帰り道を過ごした。

苦労した思い出の方がいつまでも記憶に残るのはよくあることだ。少なくとも、せっかくの連休にもどこにも行けないどこかの父親よりもはるかにマシだと思う。

追伸)釜山大学で勤務していた頃、コーディングできる人材の育成が急務と叫ばれていた。しかし、生成AIの登場以降、プログラマーの需要は減り続ける一方だそうだ。時代の流れは早い。十年後、どのような人材が必要になるのか想像もつかない。

コメント

  1. 子供の時の記憶に詳しいですね。そして可愛いそう!😂
    幸せだった思い出も聞かせてください。

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  2. 私は鯉のぼりの記憶ないなあ。
    親父に遊んてもらったこともあんまり覚えてなくて、近所の公園で町内の人とばっかり遊んでた。
    今思えば5歳くらい年の差のある子供どうしで遊んでいい経験だった

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