部分否定に物申す
英文法で部分否定という名称が出てくる。それは数学教育において負の影響をもたらしている。以下でその根拠を示す。
「All A are B」という全称命題の否定は「No A are B」ではなく、「Not all A are B」である。すなわち、部分否定という名称は否定というべきで、この名称のために「All A are B」の否定は「No A are B」と誤解する人が続出するというわけだ。具体例を挙げると、A を子供、B を鉄道オタクとすると、「全ての子供は鉄道オタクだ」の否定というのはその状態でないことを意味するので「鉄道オタクでない子供がいる」ということで、よく考えると、それは「全ての子供は鉄道オタクというわけではない」ということと同じであることがわかる。
追伸)次男がデスクトップ型のパソコンを購入した。次男は「性能の良いパソコンじゃないとゲームはできない」と公言している。それを耳にしているはずなのに、妻は次男に食ってかかり「ゲームは禁止。小学生の弟に有害だと思わないの?あんた、大学の勉強を舐めてるの?そんなゲームをする暇があるわけないでしょ。お母さんがあんたの歳の頃は働いて家計を支えてたんだからね」とまくし立てた。突然のことで狼狽した次男は「もちろん大学の勉強に支障が出るようなことはしないよ。家に帰ってからの余暇に一時間くらいやるだけさ。弟の前ではやらないよ」と言った。妻は畳みかけるように「今日から聖書の通読を再開するなら認めてやってもいい」と言って次男は二回返事で同意した。
某国大統領も真っ青になるほどの交渉術を見る思いだった。
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