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合唱団哀歌

 NHKの音楽番組で歌手の背後にいた群集が合唱で歌い始めた。その歌声は大地が鳴動するかのように迫力があり、歌手との対比を際立たせる演出だった。しかし、この番組に限らず合唱団が視界に入るたびに蘇る苦い記憶のために心がかき乱され、時には後悔の念にさいなまれることもある。以下は懐古録からのシングルカットで、その後悔の理由を綴ったものだ。 大村高校柔道部夏合宿の最終日、総仕上げの乱取りで巻き込み投げを喰らい鎖骨を折った。その一週間後、学級のHRで文化祭での学級対抗合唱コンクールに関する話し合いが行われた。俺は「面倒くさい事には関わりたくない」と思っていたのだが、それは休み時間も惜しんで予習復習に励む級友達と「行事で浮かれる期間を最小化したい」担任教諭との共通の思いでもあった。そうでなければ、立候補者が一向に現れない指揮者をジャンケンで決めたりはしないはずだ。 放課後の教室で茫然と立ち尽くしている男が誰かは言うまでもないだろう。 俺は鎖骨の痛みを抱えながら覚束ない足取りで音楽室に向かった。 「今度、指揮者をやることになったんですけど、鎖骨が折れていても出来ますかね?」 「無理です」と言われることを期待して切り出したが、音楽の先生からは 「指揮者とは巨人軍の監督と並び称されるほど名誉があり、やりがいのある仕事だ」と返され、三拍子の熱血指導が始まった。そのおかげか、俺の胸に青き炎が宿った。 一回目の全体練習は音楽の時間に行われた。 「あんまり声は出てないけど最初にしてはまずまずなのでは」と言う感想を抱き、何の心配事もなく時だけが過ぎた。 その当時、俺は学級内スクールカーストの最下層に属していた。中学校からの同級生は女子ばかりで、相談に乗ってくれるような級友はまだできてなかった。要するに俺が何を言っても他人事なのだ。そんな雰囲気の中、二回目の男女別練習を行った。 案の定と言うべきか、指導者不在の状態で声を出そうとする者はほとんどいなかった。俺は無言で両手を振り続けるだけの所謂空回り状態で、 「早く終わんないかなあ」という白けた空気の蔓延を肌で感じていた。何を隠そう、俺も同じことを考えていた。 その時、ピアノの音が止まった。驚いて振り返ると、伴奏者のHさんが悔しさを噛み殺したような表情で大粒の涙をこぼしている姿が目に入った。 そこから先の記憶は曖昧なのだが、 「ちゃんと声出し...

学科長日誌 9)

 俺が学科長になって3ヶ月も経たない頃、自然科学大学の学長が突然の辞任を表明した。その辞任の理由について研究費の不適切使用疑惑などの憶測が流れたが、本人からの弁明がないまま新しい学長を選ぶ選挙の日程が公示された。これまでの学科長会議で俺の後見役だったJIH教授もその選挙が終わり次第、副学長を辞任することになる。 その辞任から立候補受け付けのわずかな期間に、立候補を画策する教員が数学科にいた。俺とJIH教授はLYH教授の研究室に呼ばれ、「立候補するかどうか迷ってる。どうしようか?」と相談された。「そんなこと言っても出馬する気満々なくせに」と思ってはいても口に出せるはずもなく、「負ける選挙はやるべきではない。勝算はあるのでしょうか?」と答えた。JIH教授は「立候補の動きがあるのは統計学科のCYS教授だけだから年齢や知名度を考慮すると当選する公算が高い」と分析していた。 CYS教授は若いながらもリーダーシップがあり、後輩の面倒見もよかった。飲み会で爆弾酒を飲んで嘔吐している俺を介抱してくれたのもCYS教授だった。LYH教授は行動力があって、先見の明を持っていた。数学科の大規模研究費選定もLYH教授の推進力に依る部分が大きかった。その二人の一騎討ちとなった学長選挙の渦中に俺はいた。教員食堂に「選挙運動中」と書かれたタスキをつけて現れ、声をかけてきた教員に「LYH教授をよろしくお願いします」と伝えた。その道化師的行動は瞬く間に広まり、その日のうちに数学科の先輩教授から「みっともないからやめろ」と禁止令を出された。数学科内の票を固める焼き肉パーティーでも俺の行動は非難されたが、LYH教授は「外国人である学科長があれほど応援する姿勢は数学科の結束力を示すのに一役買ったはずだ」と擁護してくれた。 投票日は病気で自宅療養中の数学科の教員を迎えに行って投票してもらうほど万全の準備で迎えた。数学科の教員が投票箱の先頭に並び、その後ろに他学科の教員が続いた。何故かしら開票係は数学科と統計学科の学科長で開票して読み上げる作業を続けた。残り数枚となった時点ではCYS教授がリードしていた。俺は負けを覚悟した。「教授テニスサークルを掌握するLYH教授が圧勝すると思っていたけれど、まさか負けるなんて!これは夢であってほしい。一体、何が起こっているんだ?」と誰の目にも狼狽した様子で票を読み上げ...

学術的遺伝

 指導教官へのメールを書いている時に気付いたことがある。俺の指導教官、正確に言うと、学生時代に指導教官だった方、過去も現在も未來も師と仰ぐので、これからは師匠という名称で統一する、もとい、俺の師匠は弟子が多い。数学分野における学術的師弟関係を調べるには以下のURLが便利だ。 https://www.mathgenealogy.org/ 英文で名前を入力すると、その人の弟子一覧が出力される。ただし、最新情報に更新されているわけではないようだ。俺の師匠は日米中の三大学で32人の弟子がいる。孫弟子まで含めると69人の学術的子孫を持つ。それだけでなく、長年の学術活動を通して得られたコミュニティも多種多様で、その延べ人数は膨大な数になりそうだ。 しかし、それらのコミュニティを束ねるSNSは一つもないことに気付いた。もしかしたら、俺が知らないところで、そういうSNSがあるかもしれないが、少なくとも俺は属してないし、俺の師匠も属してないと思われる。その理由は師匠はスマホを持ってないし、ご自身が「機械に弱い」と言うほど古きを大事にされる方だからだ。そうは言っても、Macでメールも打つし論文も書いてるから、必要に迫られればできるはずだ。 俺は兄弟子や弟弟子の動向や私的な話題を知りたいと思ったが、そういう場や連絡網が一つもないことに気付いた。もちろん、フェイスブック等のSNSでプライベートに触れることはできるが、「ここに師匠が参加してくれたら皆がフェイスブックに登録して盛り上がるだろうに」というないものねだり感に襲われたりもする。 今、この文章を書いていて気付いたことがある。それは俺も俺弟子たちが集うSNSに参加してないという事実だ。「これが学術的遺伝か!?」と思った次第だ。

球技大会

昨日の福岡の最高気温は30度を超えていた。10月下旬でこの暑さだ。福岡から玄海灘を隔てたここ釜山の我が家の寝室に吹く隙間風は生温かく秋の気配が感じられない。そのせいで、というわけでもないのだが、昨晩は体温調節がうまくいかず一睡もできなかった。そのせいで、パソコンを操作する今現在、目が疲れて一向に作業がはかどらない。そういうわけでシングルカットすることにした。以下は懐古録に収録されてる ゴール列伝から抜粋したもので高校時代の思い出を綴っている。 大村高校では二年生から理系と文系に分割され、その各専攻ごとに成績別でクラス編成がなされる。旧校舎が取り壊され、同じ場所で新校舎の建設が始まるために、仮設のプレハブ校舎で授業を受けた思い出がある。 その頃の俺は全く勉強が手につかなかった。何しろ、部活の柔道の練習がきつかった。高総体で燃え尽きようとする三年生の気合は凄まじく、俺の両耳がレレレのおじさんの様に腫れ上がっても病院で血を抜いた翌日の練習に志願して出ていたほど影響されていた。三年生が引退した後も部活内の最上級生としての責任感から練習で手を抜くことが出来なかった。当時の俺の体重は55Kgで、部活内では最軽量、その俺が80~90Kgもある部員と乱取りをこなすのである。若かりし頃の無尽蔵のスタミナはこの時に培われたのは事実であるが、その代償として、学校の授業時間は常に睡魔との闘いを強いられることになる。 今思い出しても、この時期に何を習ったのか全く思い出せないのである。中間、期末、実力、あらゆる試験で点数は下降線を辿り、中学校までは得意であった国語と英語は悲惨な状態になっていた。 このような状況は俺だけでなく、クラスの誰もが抱えていた倦怠感だった。皆、部活で疲れ果てていたので休憩時間でも会話することもなく、仲良くなることもなく、ただ時間だけが過ぎていった一年だと記憶している。 ところがだ、大村高校の良いところは補習で勉強させるだけでなく、体育大会、文化祭、修学旅行等の行事によって適度な気分転換を促すと共にクラスの連帯感さえも高めてくれるのである。 そのような行事の一つが学期末試験後に実施される球技大会である。運動部に所属する生徒にとっては定期試験の一週間前は部活が休みになるので、心身を癒し、遊び呆ける絶好の機会だったのである。俺もその典型例の一人で勉強そっちのけで球技大会の練習...

ツーマは気まぐれ

 NHKの「ダーウィンが来た」という動物ドキュメンタリーの再放送を視聴した。その回はマダガスカルに生息するカメレオンの話だった。その一種であるラフォードカメレオンは雨季に孵化してカマキリなどの昆虫に怯えながらハエなどの小型昆虫を補食して体を大きくして3ヶ月で体長20cmに成長する。 妻は寝室と台所を行ったり来たりして家事をこなしている。妻はカメレオンがハエを舌で絡め取る映像に釘付けとなるものの、ずっといることはなく出て行ってしまう。 カメレオンのオスは繁殖期になると同じメスを狙うライバルとの争いに勝って求婚する権利を得る。しかし、テレビにはライバルに打ち勝ったオスがメスに迫ろうとすると、そのメスは真っ黒に体を変色させて拒否の意を示す。それでも諦めないオスを噛みつきで追い払っていたメスを見て、漫画「北斗の拳」のユリアを思い出した。 乾季になると森林の環境が激変して餌となる昆虫は姿を消す。他の爬虫類は乾季の間は冬眠して生き長らえるが、ラフォードカメレオンは遺伝的に寿命が半年で、その間に次世代に命を繋ぐ行動が凝縮されているとのことだった。「卵を地中に産んだメスは我が子の姿を見ることはないのです」というナレーションが流れると、涙が溢れ出した。罰の悪いことに妻が突然入って来て「ハエが可哀想で泣いてるの?」と聞いてきた。事情を説明できない状況が恨めしい。いつの時代であっても繁殖期を終えたオスは孤独なのかもしれない。

物理療法士の品格

 昨日、物理療法士のKYJさんが来てくれた。両脚と両肩のストレッチが施術内容だ。KYJさんは寝台に片足を乗せて俺の片足を膝の上に引き上げ、足の指から足の根元までの曲げ伸ばしを入念にやってくれる。時折、筋肉に痛みが走るが、何も伝えなくてもKYJさんはその痛みを察して無理なストレッチは行わないので、安心感があるし可動域が広がっていく。肩回しではむくみが出る左脇の方が痛い。施術後はリンパ腺の流れがよくなったような気がして非常に気持ちがいいし、体が楽になる。やっぱり、プロは違うなと思う。 施術の間はKYJさんと妻との会話を聞くことになる。今週末、KYJさんは下関まで一人旅をするそうだ。小倉と門司を周遊して一日五食のペースで日本食を満喫するそうだ。話を聞いていると、KYJさんはかなりの日本通ということがわかった。接するうちに親近感や情が生じるのは日本の医療介護従事者と同じだなと思う。残念なことにKYJさんは現在勤務している会社との契約が来月までで、ウチに来てくれるのも来月までだそうだ。 中園ミホ脚本のドラマ「ハケンの品格」をNetflixで視聴している。同氏脚本のドラマ「やまとなでしこ」と同様に馬鹿馬鹿しいけど面白いからついつい見てしまう。そのドラマで語られるのは派遣社員の現実と悲哀で、篠原涼子が演じる主人公が超人的な活躍を見せて毎回丸く収まる。 KYJさんも契約職の悲哀を味わっているのかなあとふと思った。いや、ドラマの主人公のように3ヶ月だけ働いて好きなことをやる場合もあるなあ。今度、妻に聞いてもらうことにしよう。

ブラジル撃破

2025年10月14日に開催されたサッカーの日本対ブラジルの親善試合で日本が3対2で勝利した。韓国では同じ時間帯に韓国対パラグアイがあるので、日本対ブラジルの中継はない。韓国対パラグアイは韓国が終始圧倒していて2対0で勝利した。日本がやっとこさ引き分けたパラグアイに圧勝するとはやはり永遠のライバルと思って、NHKのニュースに切り替えると「日本、やりました!」の音声が流れた。なんてこった、約30年間、日本代表の試合を観戦して来たのに、この歴史的勝利に立ち会えないなんて。 ブラジルが韓国に5対0で勝利した試合のハイライトを見ると、ゴール前で憎らしいほど冷静で遊び心を持ったブラジルが復活していて「さすが名将アンチェロッティ、日本も虐殺されるかもしれない」と不安に慄いていた。現在の日本代表は主力の三苫、遠藤、守田、板倉、町田、高井が不在で、頼みの久保も足首を負傷していて、万全とは程遠い状況だ。そんな状態でフルパワーのブラジルに勝てるとは露ほども想像できなかった。 日本対ブラジルの前半のスコアは0対2で内容も圧倒されていたらしい。後半は日本のハイプレスが炸裂してラッキーゴールに見える背後には森保監督の戦術と采配があったらしい。サッカーの試合は退屈な試合や期待を裏切ることも多いけど、たまに訪れる輝きに満ちた試合が忘れられないから中毒になるんだよなあ。その内の一回を逃してしまったことへの後悔は尽きない。 カタールでのドイツ戦、スペイン戦、ドイツでのドイツ戦、日本でのブラジル戦、もしかしたら我々ファンが思い描く代表よりも実物は先を進んでいるのかもしれない。俺が生きている間のワールドカップ優勝も夢物語ではなくなってきた。