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ラブジェネを視聴した

 Netflix 配信ドラマ「ラブジェネレーション」の全話を視聴した。木村拓哉主演のドラマを見るのは「グランメゾン東京」に次いで2回目だ。1997年に放送された頃の視聴率は30%超えというお化け番組だったそうだが、俺の周囲では話題にもなってなかった。主人公は広告会社の制作部で働いていたが、営業部に移動を命じられる。そこにいたのが松たか子が演じるOLで二人の恋物語が始まるという設定。以下はその感想だ。 1)妻がチラ見していたが、婚前交渉の場面が出てきた瞬間に「子供の教育に良くない」と言い出した。キムタクの役柄も顔も気に入らない様子で日本で天下を取った俳優を酷評していた。その一方で俺は「さすが、キムタク。日本全国の女性を夢中にさせた華があるなあ」と感心していた。 2)妻は松たか子の容姿を絶賛していた。俺は「若い頃の顔は良く言えば自然悪く言えばアンバランスだ」と思っていた。いや、ちょっと待て、それから30年経っても美貌はそのままではないか。そのことに驚いた。 3)時代を感じる場面が多かった。例えば、初めて会った相手とホテルに行く、オフィス内で煙草を吹かす、社員旅行の宴会で女性コンパニオンが手配される、電光掲示板のメッセージサービス、公衆電話、携帯電話の形状。主人公が煙草を吹かすドラマは現代では制作できないだろう。 4)理子( 松たか子) が哲兵 ( 木村拓哉) からの電話を待っている描写が秀逸だった。時代の空気を表していたし、恋愛あるあるな場面が多くの視聴者の共感を得たはずだと想像する。 5)続きが気になって全話見てしまった。最後の方には営業部の面々や理子の家族に愛着が湧いてきた。特に理子の家族と実家は理子の育ちの良さを暗示させ、メンヘラ気味の理子の言動は都会の荒波に起因していることも示唆しているように見えた。 6)主題歌が良かった。藤原紀香はスタイル抜群で哲兵を誘惑するセクシーな役柄なのに色気を感じなかった。これは俺の好みの問題ではないと思う。 7)哲兵の兄が婚約者とヨリを戻したのは納得がいかない。婚約者は純粋であるが故に潔癖性で裏切りを許さない、哲兵に気持ちが自分も許さないという設定を貫いてほしかった。

出身はどこ?

 「出身はどこ?」と聞かれたとき、「長崎です」と答えることにしている。実家は長崎県大村市にあるので、噓を言っているわけではないが、「長崎市」の知名度にタダ乗りしているような後ろめたさは常々感じている。しかし、「大村市です」と言っても、県外の人には「?」を浮かべる事態がよくある。 一口に長崎県と言っても、市町村ごとに文化的背景はまるで異なる。長崎市では8月15日に爆竹をバンバン鳴らして精霊船を海に流すが、俺の感覚だと「中華文明の真似事をしているだけ」という冷めた見方になる。長崎市では「おくんち」という祭りを心の拠り所にしているみたいだが、俺の感覚だと「コッコデショと言われても、見たことないしな」という感じで何のシンパシーも湧かない。長崎市は被爆地ということで世界的に有名で、俺も平和教育を受けてきたからそれなりに共感できるが、直接の被爆地ではないので「長崎市の人とは感じ方が違うんだろうな」という思いが消えない。チャンポンや皿うどんには馴染んでいたが、しっぽく料理やトルコライスは名前だけ知っている程度だ。このように同じ長崎県でも大村市と長崎市は天地ほどの違いがある。 大村市の中でも違う。小学校の校区ごとに特徴があるし、言葉も微妙に違う。自衛隊の基地が複数個あって、流入流出する家庭も多いし、長崎市のベッドタウンとして定着しているので、文化的背景は均一化されている。とは言っても風景の違いはどうしようもない。 実家がある原口町にしても隣りと向かい以外は誰が住んでいるか全くわからない。そう考えると、故郷って想像していたよりはるかに狭い範囲に分布しているような気がしてきた。郡川や野岳を眺めて「故郷っていいな」と思うことはあっても、そこに住んでいるわけではないし、所有しているわけでもないし、身の安全が保障されるわけでもない。「いると安心できる場所は案外少ない」と考える今日この頃だ。

「陸王」を視聴した

 Netflix 配信のドラマ「陸王」全話を視聴した。老舗の足袋製造会社の四代目がマラソンシューズ制作を決意する。ドラマは四代目の奮闘と葛藤を描く。以下はその感想だ。 1)「シューズ制作ってそんな短期間でできないだろう」「試作品を作っただけで市場調査もしてないし、現実味がないな」「そんな財務状況で銀行が融資してくれるはずがない」「シルクレイの特許使用料はどうやって捻出したんだ?」などのツッコミ所が多い序盤だったが、中盤以降で役所広司が演じる四代目社長の成長物語の布石だったことがわかり納得した。いや、納得はしてないが、初期設定を認めた上でドラマを楽しもうと思うようになった。 2)そう思わせたのは役所広司の圧巻の演技力だ。序盤は意図的に上滑りに見える独白だったが、経営者としての肝が座った中盤以降はド迫力の啖呵を切っていた。融資をしてくれない銀行の一貫性も良かった。敵役のアトランティス社員を演じたピエール瀧と小藪千豊もいい味を出していた。シルクレイの特許を持つ飯山を演じる寺尾聡のセリフと演技も良かった。 3)終盤でシルクレイの製造器機が火災で使えなくなった時、「飯山は六千万円の特許使用料をもらっているんだから融資してやれよ」と思った。ツッコミ所も多いが見所も多いドラマだった。脚本家は八津弘幸、大河ドラマ「豊臣兄弟」の脚本家でもある。ただし「陸王」は池井戸潤の小説をドラマ化したものである。 4)長距離走者の茂木を演じた竹内涼真は本物のランナーのような筋肉の付き方だった。2017年くらいにテレビ放映されたドラマだから、人気が定着した後らしい。 追伸)OSM博士とHDH君とCHI博士が見舞いに来てくれた。ありがたいことである。

デジタルのみの是非

 義務教育課程の教科書を「紙のみ」か「紙とデジタルのハイブリッド」か「デジタルのみ」にするかの問題提起が以下の記事でなされている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/6e596bf7c6d80781f2d21eb5ed211612b426db90 スウェーデンでは「デジタルのみ」に舵を切って学力低下を招いたそうだが、学力というのは時代と共に移り変わるものだ。江戸時代は崩し字の読み書きが必須だったが、現代ではそんなことができるのは極少数だ。技術の進歩と共に人間の能力が退化するのも事実だ。ネット検索ができる現代に知識を記憶しようとする人は減り続けている。明治時代の知識人は決してわかりやすいとは言えない書物を読んで育った。俺らの世代は漫画を読んで育った。現在の若者は動画を視聴して育つ。昔の人は凄いと思うが、昔は知識人の数も限られていたはずだ。技術の進歩は知性や知識を大衆化する役割を担う。知識の総和という観点からは現代は百年前を圧倒しているだろう。 何が言いたいかというと、集中力や思考力と言った俺らの世代では不可欠な教育目標と思われていた概念が次世代では「あるに越したことはないが、どうしても必要というわけではない」程度に格下げされているかもしれないことを主張したい。俺らの感覚で学力低下を叫んでも、次世代で知識の総和は拡大して、集中力と思考力が必要な作業はAIに代替させる時代が来るかもしれない。何が正解なのかわからない状況で、教育課程の是非を議論することはできても、結論は出せないと思う。 小学生の立場なら、重い教科書とノートを持つ必要もないし、時間割りからも解放される「デジタルのみ」は大歓迎なのではないかと思う。

1分小説 8)「藍とAI」 (650字、AI補正無し )

 会社員の山本修平は、同僚の河野藍が離席した隙に、藍のスマホにあるアプリをインストールした。それは生成AIの命令文を山本に転送するようにプログラムされていた。 藍は頻繁に生成AIを利用している。山本は藍の趣味や嗜好だけでなくその日の心理状態までアプリを通して知るようになった。山本は入念な下調べをしてから出勤することを日課にしている。すると藍と会話する時間が徐々に増えていくようになった。 ある夜、藍は生成AIに悩みを打ち明ける。山本はリアルタイムで藍が入力する文字列を追っていた。 「付き合っている人がいるんだ」 「そんな!!そんなこと、初めて聞いたぞ。相手は誰だ?」 「その人は背が高くてイケメンで、車でデートに連れていってくれるんだ。社内恋愛だけどね」 「ウチの会社では一人だけ。あいつは女たらしで有名なんだ。悪いことは言わないからやめた方がいい」 「もう一人は会社の上司で、色々教えてくれるんだ。やっぱ、仕事できる人はかっこいいよね。この間、高級焼肉、奢ってもらっちゃった」 「何イー。焼肉食べに行くほど深い仲ってこと? 二股で不倫とか最悪じゃん」 「もう一人、気になる人がいるんだ」 「まだいるのか? ショックで眠れんぞ。明日、会社休んじゃおうかな」 「あたしがこんな性格だからさ、その人は自分に無いものを持ってるっていうか、話も合うし、一緒にいると安心するんだよね。見た目は不細工だし、パッとしないんだけどね」 「…………………」 その後、山本は藍に交際を申し込み、一年後に結婚式を挙げる。新婚旅行に向かう飛行機の中で藍は修平に「あのアプリ、消すからね」と言った。

NBAプレイオフ1回戦を終えて

 NBAのプレイオフが熱い。米国の西側で行われる試合は日本時間の朝に生中継されるのでよく視聴している。やはり、敗退したらシーズン終了のプレイオフは気合いの入り加減がレギュラーシーズンとは段違いだ。守備の強度が上がっているし、その守備を上回る攻撃に感動を覚える。ルーズボールに対する執着も上がっていて、コート外に飛び出たボールを空中でキャッチして仲間に渡すなどのハッスルプレイが随所に見られる。 残念な点は負傷で欠場している主力の選手が相次いでいることだ。レイカーズのエースであるドンチッチはプレイオフでは出場時間ゼロだし、ロケッツのエースであるデュラントも同じだ。一回戦はレイカーズとロケッツの対戦だったが、両チームのエースが不在だった。ティンバーウルブズのエースであるエドワーズは1回戦のゲーム2で膝を痛め、1回戦は出場しなかった。スパーズのエースであるウェンバンヤマは1回戦のゲーム2で脳震盪で次戦を欠場した。セルティクスのエースであるテイタムは1回戦のゲーム7で欠場し、その影響でチームも敗退した。 今までに印象に残っていることをまとめてみた。 1)サンダーはプレイオフで唯一の無敗チームで、今日のレイカーズとの2回戦のゲーム1でも勝った。守備が強いチームは安定している。普通にやれば連覇する勢いだ。 2)レイカーズの八村は成長している。1回戦では与えられた役割をこなし、毎試合二桁得点の活躍だった。プレイオフの舞台でのこのスタッツは素晴らしいと思う。 3)エドワーズの欠場でナゲッツが楽々と2回戦進出すると予想していたが、そうはならなかった。ゴベアがナゲッツのエースであるヨキッチを抑えていた。ランドルが攻撃のアクセントになっていた。マクダニエルズはマレーの天敵だった。 4)1回戦のスパーズ対サンズのゲーム5でのホームの観客の声援を受けたスパーズの序盤からのラッシュが凄かった。サンダーの対抗馬はここしかないと思っていたら、2回戦のゲーム1を落とした。 5)ピストンズは8位のマジックにゲーム7まで持ち込まれた。カニングハムがエースであることはわかったが、未だにピストンズが強いのか弱いのか判別できない。 6)ハーデンはキャブスにいると再認識した。全盛期のような支配力はないもののミッチェルに得点源となっていた。 7)シクサーズは普通に強い。エンビードはインサイドでの存在感抜群だ。...

数学の未来

 思っていたより早かった。 https://news.yahoo.co.jp/articles/5054ebb0f827712825e610d37dfa4028f8c0e226 上記の記事はAIが数学の未解決問題を解く時代が到来したことを宣言している。これは数学者にとって由々しき問題だ。 グーグルやウィキペディアが世に出た時、知識の価値が急落した。それまでは物知りは尊敬されていた。質問すると泉のように溢れ出る知識に圧倒されたものだが、今ではスマホがその役割を果たしている。インターネットの情報は正しいとは限らないが、人間も間違うことがある。結局、何を信じるかというと、諸説が閲覧可能で日々更新されるインターネットなのではなかろうか?もし間違っていたら、ネット上で正せばよいだけのことだ。 将棋AIが世に出た時、棋士たちは「この程度か」と左手ウチワだった。その後、スマホを操る初心者に名人が負かされる時代が来た。縁台将棋の最善手は将棋の強い人でなくスマホに聞く方が早いのだ。以前は序盤の研究というとプロにしかできない崇高なものだったが、今ではAIの評価値に従った手順の変化を丸暗記するだけだ。それでもトップクラスの棋士は自動車より遅い短距離走者のような需要があると思うが、それ以外の棋士の価値は暴落した。 数学界にも似たような事例が起こるだろう。例えば、数学者が何十年かけても解けなかった問題がAIに長けた小学生が解いたなんてことが普通に起こりそうだ。そうなったら数学者の評価にも変化が出てくるだろう。これから数学者を目指そうとする若者にとって難しい時代になったと思う。