最適化される介護
「視線が合わない」と機械音声で読み上げる回数が激減した。視線入力をするときは初期設定が重要だ。体の位置、首の向き、センサーと視線との関係が少しでも狂うと、円滑な視線入力は実現されず、様々な不備を補うために経験則で学んだ打開の方法を駆使することになる。その作業は目を疲弊させるし、冒頭のセリフが出てくることになる。不思議なことに、そういう状態で初期設定を繰り返しても改善に向かわないことが多い。そんなときは例の機械音声を連発することになる。その回数が激減した理由は「妻がパソコンを起動する前に全ての位置関係を調整してくれる」ことに他ならない。その微調整はこれまでの経験から得られたものだ。 このような経験から得られる最適化は他にもある。寝台の端にはおもちゃのアヒルが並べられている。俺は足をわずかではあるが動かすことができる。その力を利用してアヒルを鳴らしてSOSの意思伝達が可能なのだ。パソコンに繋がってないときにはアヒルが命綱になる。しかし、就寝時に引き戻せない右足が寝台のへりに足首が曲がった状態で押し付けられ、左足も自由を失ってアヒルを押せない状態で助けを待つことがあった。その解決策は腰の位置にあった。両脚を伸ばした状態で左足でアヒルが押せる状態になるように腰の位置を定め、左向きに腰を立てることにした。すると、右脚を伸ばしても痛くないし、左足に自由が生まれ複数のアヒルを押せるようになる。 それでも、就寝時に痰が詰まり、助けを呼んでもしばらく誰も来ないことがあった。事態を重く見た長男は常時酸素飽和度を計測して90以下になったら警告音が鳴る器機の導入を訴えた。当初は150万ウォンの高額器機を購入することの費用対効果に懐疑的だったが、妻がALS患者と保護者の会の知り合いから不要になったその器機を譲り受けることになり、先々月から使用している。表示された酸素飽和度を見て吸引をしてくれるので、呼び出す手間が省けて助かっている。 このように介護とは日々の経験の蓄積であり、その介護のおかげで快適に暮らせるのだ。