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胃もたれ日記

 昨晩もまた消化不良に陥った。夕食はビビンバと味噌汁をミキサーにかけたもので主要なたんぱく質は目玉焼きしかない。原因が分からないまま突然現れる消化不良の病にほとほと手を焼いている。昨晩も胃もたれに苦しみ、妻にそのことを伝えた。普段は冗談めかして「あいご、忙しいから呼ばないで」と言っている妻が豹変して親身になって看護してくれるのが有難かった。なにしろ、消化不良は自分の体内の出来事なので外部からの刺激は全く解決にならない。そうは言っても、苦しみを分かってくれる人がいるというのは精神の安定をもたらすものだ。 しかし、医薬品を入れても、消化を助けると言われるキウイを入れても、胃の中にあるものを注射器で吸い出しても、事態は一向に改善の方向には向かわない。座っている状態でいくら待っても回復の兆しが見えて来ない。それで消灯と共に横になることにする。それからが地獄だった。胃もたれのせいで眠れない。子供たちは全員学期中で起こすわけにはいかない。仮に誰かが起きていたとしても胃もたれ解消にはならない。俺は午前4時までムカつきに耐えながら孤独な時間を過ごした。舌を前歯の裏側に当て続けると軽い吐き気が誘発され、ほんの数秒の間はムカつきが和らぐ。その動作を繰り返していると胃酸過多のような状態になって、ますます眠れなくなった。 もうひとつ気付いたことがある。多くの唾液が分泌されると、それが潤滑油のような役割をして歯軋りの音がほとんど響かないのだ。俺はそのことを逆手にとってスヤスヤと眠る妻の横で鳴らない歯軋りを繰り返して時間が過ぎるのを待った。午前4時になり、妻が起き上がったのを幸いにアヒルを鳴らし妻に「苦しい」と伝えると、妻は「脂汗もかいてないし、胃の中には何もないはずよ。もう治ったんじゃないの?」と診断を下し、水を注入するという処方箋を実行した後、再び深い眠りについた。 そのとき既に咽の奥でゴロゴロと痰が蠢く音が聞こえたが、せっかく眠りについた妻を起こすのは忍びないと思いギリギリまで我慢することにした。その臨海点は午前5時に訪れた。息苦しさに耐えられなくなりアヒルを鳴らしまくったが、妻は寝息を立てるだけで微動だにしない。「もうダメだ」と思った瞬間、寝室に入ってくる人影が見えた。それは眠い目をこすりながら歩いてくる長男だった。吸引を施し、妻が起きたのを確認すると、長男は部屋を出た。妻の処...

格闘遍歴番外編 3)

 向き合った瞬間、池田先輩の目つきが変わった。あれはまさしく「百獣の王であるライオンはウサギを狩る時でも全力を尽くす」眼光だった。池田先輩は歴代九大芦原空手部員最強の呼び声が高い猛者だ。俺はスーパーセーフと呼ばれる防具を顔に装着している。そのために俺の恐怖に怯え切った表情はその場にいる誰も気づかれなかったはずだ。どうしてこんなことになってしまったのか? 1999年11月某日、俺が無職を脱し韓国に赴く直前だった。俺は最後の挨拶を兼ねて貝塚体育館の練習に参加していた。そのあと、簡単な壮行会が催されると聞いていた。引越しの準備で忙しかった俺にはおよそ一ヶ月ぶりの練習だった。「練習は軽く流して壮行会で全力投球」と思っていた俺を待っていたのは部員全員との1分組手だった。そうは言っても、主将の寺島、2年の岩川、1年の部員4名、社会人で顧問格の池田先輩がその日の練習参加者だった。つまり、7分だけ戦えば宴会に突入できるのだ。しかも1年の4人は組手で圧倒できる実力差があった。俺は「池田先輩さえ乗り切ればなんとかなる」と思い、年長順に7人組手を行うことを提案した。それがそもそもの間違いだった。ヘロヘロになってから池田先輩と当たったら多少の手加減が期待できたのに、俺はわざわざフルパワーの池田先輩を召喚してしまったのだ。スーパーセーフを装着するということは顔面パンチ有りを意味する。掴み有りの芦原空手に加え、部の夏合宿では寝技の練習も取り入れていた。すなわち、限りなく総合格闘技に近いルールで体格と敏捷性で俺をはるかに凌駕する相手と対峙することになったわけだ。 俺は「顔面を殴打される展開は絶対に避けなければならない。なんとか接近戦に持ち込んで袖を掴んで、あわよくば寝技に引き込んで膠着させよう」という作戦を立てた。それは途中までその通りに推移した。双方の袖を掴み合った時に池田先輩の膝蹴りが飛んできた。それをかわそうとして体勢が崩れたところにのしかかられて、仰向けに押しつぶさた。両足を相手の胴体に巻き付けるも圧倒的な体格差故に相手をコントロールできず、拳骨をコツコツとスーパーセーフの上から当てられる。喧嘩であれば鼻骨と前歯が折られていたところだ。その恐怖に耐えられなくなり、自ら足の絡みを解き、三角締めを狙おうとするも、あっさりかわされ、完全に制圧された状態でタコ殴りにされた。身体的なダメー...

みんなの体操の闇に迫る

 NHKでは「みんなの体操」という番組が月曜から金曜までの朝9:55--10:00に放送されている。自慢じゃないけど俺は4年前からほぼ毎回同番組を視聴している。そしてある時期から「毎回寸分と違わない体操を全国放送で流す意義はなんだろう?」という疑問を抱くようになった。同種の番組である「ラジオ体操」でさえ日本各地で開催される集まりを生中継して臨場感を味わう面白味があるのに、「みんなの体操」はスタジオで1人の講師と3人のアシスタントが体操するだけで何の変化もない。「それなら毎回同じ録画テープを流せばいいではないか?」と思うのだが、以下の番組ホームページを見ると結構こまめに収録している模様だ。 https://www.nhk.jp/p/minna-taisou/ts/13PVMRP686/ 収録のたびに出演料と撮影スタッフの人件費が発生する。出演者は体育科を卒業したような健康的な体躯を有する男女だ。当然ながら指先まで伸びて体操の各動作にキレがある。しかし、3人とも専門家である必要はないはずだ。むしろ、下手な人がいると上手な人が引きたって見えるものだ。視聴者参加型にすれば経費削減になるし、番組も活性化するのではなかろうか? 売り出し中のタレントが出演すれば話題作りになるし、ネットでも取り上げだろうし、何より、毎日の楽しみになるし、NHKを代表する番組に成長する可能性を秘めている。このようにやりようによっては人気が出るかもしれないのに毎年毎年同じことを繰り返しているのは生き馬の目を射抜くテレビ業界においての企業努力を怠っているように思える。 そうまでして守りたい利権や闇があるのだろうか?是非ともWさんにお伺いしたい。

KPPYセミナーの原点

 昨日、BSJ教授からの電話があった。妻のスマホのスピーカー機能を通してその内容を把握することができた。地域の大学間学術交流を目的としたセミナーを始めたのは2006年前後だ。最初は釜山大学と浦項工科大学とで月毎に開催していたが、ある時期から慶北大学と嶺南大学が加わり、「KPPY Combinatorics Seminar」と改名して、土曜日に5人の講演者が自身の研究結果を50分以内に英語で紹介するという仕様で、年10回ほど開催してきた。俺がALSに罹患してからは年1回のペースで開催し、2025年9月20日に100回目を大々的に開催するという話だった。BSJ教授は世話役の一人で、今回は歴代の世話役を海外から招待して、ホテルの会議場で開催するそうだ。俺も現地に行って皆に会いたいのは山々だが、呼吸器を付けての長時間の外出は経験したことがないし、様々な不便が予想されるので参加は無理だと判断した。 俺が大学院に入学する直前の3月、京都大学数理解析研究所で開催された研究集会に参加した。過去に何度も書いているが、そのときに受けた衝撃が俺のセミナー活動の原動力となっている。一年上の先輩が研究結果を発表していた。「数学は10年以上の下積みが必要で、大御所かガロアのような天才しか新しい結果は出せない」と勝手に思い込んでいた俺にはその事実だけでもかなりの衝撃だった。発表後の質問や批評が物凄かった。年配の先生方が次々と論理的な駄目出しをやって、今後の研究の方向性についての宿題とも取れる提案を述べていた。それは若手だけでなく、全ての発表で起こる現象だった。そこは数学者たちの本気が交錯もしくは衝突する空間であり、数学の一分野を発展させる鍛錬の場にしようとする気概が満ちていた。 そのことを再現したいと思って活動してきた。数学は頭の中で完結する個人競技だと思われがちだが、研究集会や懇親会での雑談を通して新たな発想を得たり、共同研究に発展したりする団体競技の側面も確かにある。100回目を迎えるKPPYセミナーは延べ500人の講演者と100回の懇親会を通して様々な学術交流があったと信じたい。そんな難しいことを持ち出さなくても、俺自身はただ単に楽しかった。それが長年に渡って世話役の一人で居続けた最大の理由だと思う。 最後にBSJ教授を始めとするKPPYセミナーの歴代参加者全てにこの場を借りて感謝...

のぶの悲哀

 ドラマ「あんぱん」で主人公ののぶ役を演じる今田美桜は美貌は申し分ないのだが、感情移入できないし、あまり魅力を感じない。それは今田の女優としての資質によるものではない。のぶが十代の頃は徒競走で男を負かしたり、電話でたかしをどやしつけたり、次郎からの求婚を走って追いかけて承諾したり、躍動するヒロインとしての存在感は十分にあった。しかし、たかしと結婚してからののぶはそれまでは充満していた自己肯定感が崩壊して、8月22日放送分では「仕事は全部中途半端で、首になって、たかしさんの子も産めない」という内容を吐露した。これは脚本家の意図で「頑張ってキャリアを重ねてきたが気がつくと何も残っていなかった数多くの女性の悲哀」をのぶに代弁させたかったのかもしれないし、史実に基づいた話なのかもしれない。いずれにせよ、脚本のせいで今田の女優としての魅力が損なわれ、削がれているような気がする。 そこで僭越ながら今田の魅力を引き出す設定と脚本を考えてみた。たかしは不思議と自虐や内省がよく似合う。漫画家としての代表作を産み出せないで苦悩するたかしを持ち前の明るさで笑い飛ばすのぶという設定にする。手塚治虫をモデルにした手島治虫と遭遇したたかしはのぶに自分の才能の無さを打ち明ける。 「あの人はすごいよ。自分に無い物を全て持っている。医学部に入るほどの明晰な頭脳、未来社会を予見させる類い稀な想像力、漫画をメジャーにするという野望と大志、日本全国津々浦々にいる読者、僕もその一人だ」 「でも、手島治虫はウチは持っちゃあせん。ウチは仕事も子供も持っちゃあせんけど、たかしがおるから幸せや」 「…………。参ったよ、のぶちゃん」 みたいなことを言わせれば人気爆発間違いなしと思うけどなあ。あまりにも男性視点に偏った見方だろうか? 前半部分は命がかかった場面が多く、週ごとに登場人物が減っていく印象だった。それだけに緊迫した場面と和やかな場面とのメリハリが物語の推進力をもたらし見る者を惹きつけていた。ところが、後半部分に入ると平和な時代になったせいか中だるみなのか、「あれっ」と思う設定が散見される。以下でそれらを記しておく。 1)のぶは代議士に引き抜かれる形で高知新報を辞めて上京する。それなのに当てがわれた住居はいつ不審者が侵入して来るとも限らないガード下のあの住居だ。戦後の混乱期とは言え、あまりにも酷い仕打ち...

三男の交渉術

 視線入力でパソコンを操作する時間は8時間が限度だ。13時から始めて21時前には目が疲れて操作が困難になる。そういうわけで、21時前に電動寝台を折り曲げて座った状態でテレビを見るのが日課になっている。その時間以外はずっと寝たきりなので、上体が起こされて視線が高い位置に変わるのは絶好のリフレッシュになる。その間に子供たちを呼んで頭を掻いてもらう。しかし、この至福な時間の唯一の弱点がアヒルの玩具を押せないことだ。歯軋りで人を呼ぶことも可能だが、歯軋りの音量が出ない日もあるので家族の誰かが付き添うことになっている。 昨晩も三男を呼んで文字盤で「こ」と伝えると三男が「ここに居て」と翻訳してくれて、隣の寝台でipadを扱い始めた。先週、妻が「ゲームばかりして学校の宿題を全然してない」とこっぴどく三男を叱り飛ばした。そのことを思い出し、歯軋りで三男を呼んで文字盤で「や」と伝えると三男は「やめて」と翻訳して、ipadを充電器に繋いで本当にやめてしまった。あれだけ叱られても全く意に介さず翌日からゲームをやっていた三男の意外すぎる従順さに驚いた。 週末で上の子供たちは就寝する雰囲気が全くない。家中の蛍光灯がともった状態で「何もしないでいろ」というのは酷だし、いつもの三男ならばトイレにipadを持ち込んでゲームを続けることができたはずだ。そういう俺の心理を見透かすかのように三男は「本当に駄目?」を連発して懐柔策に打って出る。「明日から22時以降はipadに触らないと約束するなら今日は許す」と言いたかったが、文字盤で伝えるのは難儀だ。「23時まで宿題するから、それからやるのはいい?」と三男は食い下がるが、「5分なら許す」と突っぱねる。 そういった問答を繰り返して、根負けした俺は「お母さんに聞いて」と責任転嫁する策に出る。三男は韓国語で「お父さんがお母さんに聞いてと言っている」という内容を事細かに説明して、堂々とゲームをする権利を得た。恐るべし三男、日頃から大家族の一番弱い立場で鍛えられているからなあ。将来は国際紛争を解決する職に就いてほしい。

ドカベンの名場面

 前日のブログで漫画「ドカベン」について言及した。それは明訓高校野球部の物語で、同学年の山田、岩鬼、殿馬、里中の活躍が描かれている。ちなみにその題名は主人公の山田がドでかい日の丸弁当を持参することにに由来している。今回は多少マニアックになるが、俺の心に残った名場面を列挙していく。尚、俺の記憶力のみが頼りなので、名前などのの間違いがあるかもしれない。 1)白新学院の不知火は隻眼の弱点を突く配球を逆手に取って本塁打を放つ。塁間を回る際にサングラスをかけた観客が歓声を送る。不知火は「やったぞ。父さん」とその歓声に応える。そこで不知火が父から眼球を譲り受けたことが明かされる。超スローボールで山田をスランプのどん底に落とした投手の不知火が見せた唯一の感情を爆発させた場面として印象的だった。 2)夏の甲子園の決勝の九回裏ランナー三塁の場面で三塁のはるか後方にファウルフライが上がる。周囲の「取るな」の声が聞こえないのか岩鬼は観客席間際のボールをキャッチしてしまう。すると三塁ランナーはタッチアップで本塁に向かって走り出す。明訓高校の初優勝か同点かが分かれる場面で、岩鬼の送球は山田のミットに収まり、ランナーの目の前に白球が立ちはだかるという劇的な結末だった。作者の水島新司は野球のルールブックの見落としがちな部分を題材に話を作ることが多い。俺もこの話を読む前は「ファウルフライでタッチアップできる」ということを知らなかった。 3)記憶喪失になった山田が満塁の場面で打席に立ち、本塁打を放つという正にマンガオブマンガの展開に痺れまくった。その後の敬遠の指示を無視して背負い投げ投法で山田との最後の勝負に挑んだ影丸に感動した。ライバルが魅力的に描かれているのがドカベンの特徴だ。 4)投手の里中が肩と肘の故障で地区予選に出場できないとき、岩鬼、殿馬、山田が投手を命じられて、殿馬は意表を突く牽制球で、山田は捕手の構えからの豪速球で抑えていたのがよかった。低学年の頃に見たアニメでは「岩鬼は口ばっかりでちっともチームの役に立ってない」と否定的な見方をしていたが、高学年になって漫画を読み出すと「ハチャメチャな岩鬼がいるからこそ面白い」と全肯定するようになった。 5)かつて明訓高校を優勝に導いた徳川監督がスター選手不在の信濃高校を率いて甲子園で激突した戦いも印象深い。無死満塁のピンチで山田が「やっぱ...