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七割問題の補足説明

 以下の投稿に関連して、 https://hirasakajuku.blogspot.com/2026/01/blog-post_10.html 気管切開と人工呼吸器について補足説明を書き加える。 先ず、気管切開の必要性を述べる。ALSは全身の筋肉が衰える病気だが、まぶたや心臓の筋肉は例外で、症状に現れない人が大半だと思われる。しかし、呼吸に必要な筋肉は確実に衰える。気道に詰まった痰を巻き上げて吐き出す筋肉が衰えると、痰が詰まったまま呼吸困難に陥る。そんなときは吸引器で痰を除去すればいいのだが、口から吸引チューブを入れて気道に挿入する作業は、口の中は雑菌だらけで気道は無菌状態であることを考慮すると、専門的な知識と熟練した技能が要求される。それができる人がその場にいないときは救急隊員を呼ぶことになる。気管切開はこの痰吸引の難易度を劇的に下げる効能を持つ。それこそ、小学校低学年の児童でも安全に吸引できる。すなわち、気管切開は人工呼吸器装着のために行うのではなく、痰吸引を容易にするために行うのだ。 次に、人工呼吸器装着後の介護者の負担について述べる。俺も妻も一体どんな変化が起こるのか全くわからなかったので、日々の生活を通して手探りですり合わせるしかなかった。人工呼吸器が喉から外れると、けたたましいアラーム音が鳴り続ける。装着したばかりの頃は人工呼吸器なしでも普通に呼吸できた。しかし、痰が詰まる回数が増えた。妻は寝るときも目覚ましアラームを一時間ごとにセットして不測の事態に備えた。家族全員が口文字盤での意思疎通を覚え、パソコンの機械音声を用いて込み入ったことを話すようにした。 最後に現在の状況について述べる。現在は呼吸器なしでは生きていけない。それでも呼吸器なしで30分は苦しいながらも呼吸は維持できると思う。痰吸引の回数は一日で10〜20回で、それでも年々減ってきている。症状は進行しても、何もかもが不安だった四年前と比べて精神的に安定しているし、家族もタフになった。慣れとは恐ろしいものだ。

大村での初診断

 2019年3月、一家が釜山から大村に引っ越したばかりの頃の話だ。ALS患者として公的支援を受けるためには大病院に行って診断を受けることが必要になる。そのときの心情を綴ったのが以下の闘病記(大村編)からのシングルカットである。 午後からは妻と弟嫁の付き添いで病院に赴いた。 神経内科の医者は満面の笑顔で俺にALSの確定診断を下し、介護保険、特定指定難病の医療費補助、身体者障害者年金申請のための書類を作成してくれた。その医者は過去の検査記録を見るや否や 「呼吸器を付けるか、付けないかの決断をされてください。その決断によって対応が変わってきます」と言った。 なんだか、郵便局で配送先に仕分けられて、最後の目的地は自分で選べと言われている感じがした。あるいは、人様の税金で生かされる道を選ぶか、潔い死を選ぶか、というようにも聞こえた。 ALS患者の7割は呼吸器を付けないで死ぬ選択をするらしい。その選択は本人の死生観や介護に対する家族の負担を熟考した上でなされたものだと思う。 俺はつい昨日まで人工呼吸器を付けて延命するのが当たり前だと思っていた。ところが、上記の医者の言葉を聞いて、 「そんなに自分が可愛いのか?」 「『今、死んでも悔いはない』と公言してくせに」 「自分一人が思考に費やす時間を確保するために他人による24時間の労力が必要になるんだ」 「末期で植物人間状態になって莫大な医療費を消費しているのと同じでは?」 「子供たちは俺がいなくても逞しく成長するだろう」 「妻は悲しんでくれるかもしれないな」 「一体誰が垂れ流しになった糞尿の処理をするんだ?」 のような考えが頭を駆け巡り、信念が大きく揺らいだ。 人間というのは弱いものだな。

七割問題

 以前から言い続けていることだが、今回も「ALS患者の七割が人工呼吸器を装着しない選択をする」問題を考察してみる。 ALS患者の苦悩を一通り経験した立場から言わせてもらうと、「気管切開しない」と宣言をすることは「自然死と偽装した自殺」を意味すると主張したい。そして、人工呼吸器の装着を推奨しない医師は合法的な自殺幇助に加担していると自覚してほしい。 もちろん、ALS患者の症状、介護環境、経済状況は千差万別で、各々の死生観や事情も異なり、一概に言えることではないと思うが、七割は多過ぎる。きっとその中には「前もって知っていたら気管切開に同意したのになあ」と考える人が多数いるに違いないのだ。 気管切開したら声を失うし、人工呼吸器を装着したら24時間の介護が必要になる。前者は正しい。意思伝達手段の最たるものがなくなるのは恐怖だろうが、技術の進歩で補えることも多い。俺の場合は、パソコンに接続している間は自由に助けを呼べるし、そうでないときもアヒルのおもちゃと歯ぎしりで対応している。後者も正しいのだが、「介護者が目を光らせているわけではない」ことを強調したい。俺の場合は、痰吸引できる家族の誰かが自宅にいるというルールがあるだけで、その誰かも別室で好きなことをやっている。痰吸引も気管切開の効能で小学生もできる手軽さだ。俺も家族に迷惑をかけるくらいなら死んだ方がマシだと考えた時期もあったが、今では生きていてよかったと思っている。皆さんも後者を額面通りに受け取ることはゆめゆめしてはいけない。「気管切開の向こう側にある生き甲斐や幸せの可能性を閉ざすことなかれ」と声を大にして言いたい。

海外放浪記 19)

 これまでの海外旅行や海外出張を古い順に並べてみた。なお、前回は次の通り。 https://hirasakajuku.blogspot.com/2025/11/18.html 19)オーストラリア、パース。2006年1月。置換群論の専門家が集う西オーストラリア大学のゲストハウスに一週間滞在してセミナーに参加して研究結果を説明した。。今考えると、かなり身のほど知らずの行為だった。その理由は置換群論の結果を使っただけでその道のプロにとっては興味がある話ではなかったからだ。バケーション期間だったので、一人でいる時間が大半で共同研究に誘われることもなかった。自分が暇なときに一方的に行くことを決めたのがそもそもの間違いだった。 到着初日、パースの中心部を散策して夕食を摂るための店を探した。2時間くらい歩いて入った店は聞いたことがないハンバーガーチェーン店だった。その翌日、大学でそのことを話すと、「代表的なオージーキュイジーヌね」と言われた。某有名ハンバーガーチェーン店は商標権の問題でオーストラリア国内では本来の名称は使えずに改名したそうだ。その日の昼食は大学関係者と一緒に海産物の店に行った。そのときに食べた「カラマーリ」というイカリングが美味だった。 週末はビーチを散策した。海インド洋に面していて、そう思って眺めると広大に感じた。背中を凧の揚力で引っ張るウィンドサーフィンに興じる人がいた。そこで1時間くらいいたあと、周辺を散策していると一軒の住宅が目に入った。「ずいぶんと立派な屋敷だなあ」と思い、近くに行ってみると、その遠方に新たな邸宅を発見した。その地区は高級住宅街で「これでもか」というほどの豪華な住宅が立ち並んでいた。それらを見物しているうちに山間部の集落に紛れ込み、迷子になってしまった。歩いても歩いてもバス停留所などの公共交通機関に繋がるものは見当たらないばかりか、同じところをぐるぐる回っている本格的な迷子になった自覚が芽生え始めた。疲労困憊を顔に滲ませ歩いていると、祝祭行事の衣装に身を包んだ少女の集団とすれ違った。その中の一人が踵を返して俺のそばにやってきて一斤のパンを差し出した。俺は呆気に取られてそのパンを受けとったが、数秒後に「もしかして乞食と思われたのかも」という疑念が湧いてきて確信に変わった。 結局、バス停留所にたどり着いて事無きを得たが、この事件に象...

三男の卒業式

 三男が通う小学校の卒業式に参加しようとしたが、講堂が満杯で参加できなかった。2020年12月に釜山に引っ越してきたとき、三男は一年生だった。月日が経つのは早いものだ。 事の詳細を話そう。その小学校は自宅アパートの敷地の隣りに位置する。住宅密集地の学校だからなのか、校庭も狭いし、体育館もない。そんなわけで卒業式などの式典は当該児童のみを集めて校舎内の講堂で行われる。午前8時30分に三男が登校してから俺を外出させるための準備が始まった。卒業式が始まるのは午前10時、大村滞在中の長男以外の家族を総動員して準備するも冬の防寒対策と痰吸引に時間を取られ自宅を出たのは午前10時だった。外気は冷たいが、寒さを感じるほどではなかった。同行の次男と長女はその小学校の卒業生だ。いつものようにお互いを非難し合う仲良し喧嘩をする様子は微笑ましかった。妻は珍しく化粧をしているが、いつものように明るい。そんな日常のようで特別な雰囲気の中、卒業式への期待が高まっていた。 校舎の中は冷蔵庫の中に入ってるかのように冷風が吹いてきて体全体が急速に冷やされた。「あれ、おかしいな。外より寒いじゃないか」と思った。講堂がある5階には卒業生の父母でごった返していた。どうやら、講堂に入れる人数には限りがあって、午前9時くらいに来て場所取りしなきゃいけないらしい。卒業式が終わるのは午前11時30分、「こんな寒いところで75分待つのか」と絶望的な気持ちになった。それを察した妻が長女を自宅にさし向け、使い捨てカイロと毛布を持って来させた。そのおかげで寒さに震えることなく時間を費やすことができた。 卒業式が終わると、各教室で最後のホームルームがあるものと思い込んでいたが、卒業生たちは校庭に降りていき、そのまま解散となった。俺らも校庭に降りると、そこは日光に照らされ暖かかった。三男がいつものように「お父さん」と日本語で言って駆け寄ってきた。その後は写真を撮って、自宅に戻った。次男が俺を寝台に以移乗して、子供たちだけで外食に出掛けた。妻は俺に食事を注入した後、インスタントラーメンを食べていた。今日くらいは皆で美味しい店に行って「お父さんのおごりだ。好きなだけ食べなさい」と言ってやりたかったな。

変わりゆく国際情勢

 ベネズエラの大統領が米国に移送された。そのニュースを知ってから様々な論評を読んで事態の把握と自分の考えを整理することに務めたが、正直なところ「よくわからない」というのが結論だ。多くの記事の中で、以下の https://news.yahoo.co.jp/articles/99a649fa7fd809ef1813b87f13aa37cee2148ca8 「世界はもう、日本人が信じているようなお行儀の良い法律で動いてない」という節が心に刺さったので記しておく。 中国やロシアのように一人のリーダーが長期に渡って強力な権力基盤を維持できる国が有利になる時代になっていくのかもしれない。国際社会という枠組みが崩壊して大国が意のままに行動する時代になったら、日本のような衰退中の小国は今より更に肩身の狭い思いをすることになるのであろう。

豊臣兄弟の初回を視聴した

 NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」の初回を視聴した。以下はその感想だ。 1)前作の「べらぼう」は、吉原で働く遊女の悲哀、花魁の栄華、江戸時代の出版業界、田沼意次の政、等の主人公を取りまく背景が同じ回に複数個詰め込まれていた。1ヶ月も経たずに脱落した理由はその複雑な構成に辟易したからだ。喩えて言うなら、マグロの切り身にウニとイクラを載せてカニ味噌をかけて食べるような感じで、美味しいかもしれないけど個別に味わいたかったなという感覚だ。その点において「豊臣兄弟」は「べらぼう」を反面教師にしたかと思うほど単純で、主人公の目線を追うだけで物語に感情移入できるように作っている意図を感じた。 2)「べらぼう」と比較してばかりで申し訳ないのだが、眉を剃り落として見分けがつかなかった「べらぼう」の女性キャストに比べて「豊臣兄弟」のそれは普通に美しく普通に魅力的だ。主人公の笑顔の回数も前作より格段に増えた印象だ。 3)藤吉郎役の池松壮亮は野心家で人たらしで後の天下人である豊臣秀吉の若かりし姿をよく表現していた。歴代大河ドラマで秀吉を描いた作品は数多いが、信長に認められる期間までが一番面白いと個人的に思っている。創作でいいからその辺りの逸話を挿入してほしい。小一郎役の仲野太賀はとにかく愛嬌がある。それでいて調整役として秀吉を支えた理性的な秀長の片鱗を出せていた。この二人のコンビは古くは破天荒な岩鬼をたしなめる殿馬を、新しくは大谷とベッツを彷彿させる。 4)坂井真紀が演じる母が8年ぶりに現れた藤吉郎を抱きしめた場面、信長が馬に乗って登場する場面が良かった。 5)まだ初回だから何とも言えないが、少なくとも次回を楽しみにしている俺がいる。