リーサン
俺が高2の頃、高校主催の講演会が開催された。その講演者は予備校の先生で、「志望校は東大リーサンにしよう」みたいなことを延々と語っていた。リーサンとは理科三類のことで、東京大学医学部への進学が約束された教養部の区分けの一つだ。日本の大学受験では最難関で、その募集枠は百名前後だ。その言葉を好意的に解釈すると、日本代表がワールドカップ優勝を公言するように受験生たる者は最高の目標を掲げるべきということだが、当時の俺は「何言ってんだこいつ。予備校の価値観を押し付けるな」という反発しか感じなかった。それは、リーサンを頂点とする偏差値ヒエラルキーに属してはいるが、進路は自由意志で選択する、という決意の現れでもあった。 これまでリーサンの人と話す機会はない。しかし、メディアで紹介された映像を見る限り俺のような凡人には想像できないほど高性能の処理能力と知識量を持っているのだろう。職業柄そのような優れた人と間近に接してきたので多少の免疫はあると思うが、同じ条件で知的活動をしたとき「コイツには一生勝てない」と打ちのめされるのは容易に想像できる。 そんな偏差値ヒエラルキーが瓦解し始めている。それは今年になって顕著だ。去年までは「AIは平然と間違いを主張する」と笑っていたのに今年は「AIが人類を滅ぼす」と主張する人まで現れた。リーサンの人ができてAIができない知的活動の領域は年々小さくなっている。それは数学者にも適用されるし、知的活動に従事する人々も同様だ。 これからはどんな価値観がもてはやされるのか全く想像できないが、少なくとも進路を選択できる社会になることを切に願う。